職場の人から嫌われることへの恐怖が減り、仕事をしやすくなったこと 

■職場の人から嫌われることへの恐怖

こんにちは。私は平日の昼間は技術系会社員として仕事をしています。
現在はコロナウイルスの影響により、テレワークに移行しているのですが、通常通り会社に通っていた頃のことです。

ある日の退勤時刻のこと、入社して間もない同僚が退室する際に、私の座席の後ろを通り過ぎながら「お先に失礼します。」と声をかけたのに対して、相手の方を向かずに、聞こえないくらいの小さな声で「お疲れさまです。」と素っ気なく返してしまったことがありました。メールの文面を考えることに気をとられていたため、挨拶を返すことにほとんど意識が向かなかったのです。

その日の帰り途、ふとそのことを思い出し「その同僚が私に無視されたと感じ、不愉快な思いをしたのではないか」という不安が出てきました。さらにその不安は「その同僚から嫌われてしまうのではないか」という恐怖となり、「なぜもっとはっきり挨拶しなかったのだろう」と後悔の念に襲われることがありました。

またある時、その同僚と通勤途中に出会った際に、互いに挨拶をした後でとくに話題が思いつかなかったため、黙って歩いていると「何か喋って場を保たないと、今後この同僚と話づらくなってしまうのではなないか」という不安から、無理やり興味の無い質問をしてしまいました。

同僚から回答は得られたものの、話の広がりもなく、そのまま職場に到着して会話が終わってしまうことがありました。

その時には「会話が弾まないつまらない人だと思われたのではないか、このことが原因で嫌われるのではないか」という恐怖が出てきました。

このように、職場の人とのコミュニケーションにおいて、不愉快な思いやつまらない思いをさせて、良好な人間関係を作りづらくなることへの懸念が生じた時に、恐怖や不安が出てくることがありました。

客観的に考えると、パソコン画面に向かって集中している人の背後に向かって行った挨拶に返事が無いことが1回あったくらいで、相手を悪く思い、嫌うことなど、考えにくいことですし、話が弾まないからといって即つまらないと人と判断されることもありません。たとえ嫌われたとしても、会社で仕事ができなくなるわけでもありません。私の心の中に、こういった事象に強く反応する要因があるために、些細な出来事を大げさに捉えて、ネガティブな感情を生み出していました。

また、私は相手から嫌われることを恐れて、面倒くさそうな仕事の依頼や相談事をすることが苦手で、出来るだけ自分の力で解決しようとする傾向があり、このことは仕事をスムーズに進めることへの阻害要因となっていました。

■感情のクリアリングの取り組み

恐怖や不安などのネガティブな感情を感じた時の状況を思い出しながら、出てきた感情のクリアリングを進めていきました。

ある程度クリアリングが進んだところで、「何故、職場の人から嫌われることに対して、恐怖や不安が出てくるのか?」と自分の心に対する問いかけをすると、小学生の頃の記憶が出てきました。

私は小学生の頃、学年が変わる時のクラス替え(クラスメンバーの入れ替え)の結果に応じて、クラス内に一緒に遊ぶ友人が多い学年と、友人が少ない学年を交互に経験していました。

後者のクラス内に友人が少ない学年の時のことです。
休み時間において、他の子たちが集まって遊んでいる輪に入れず、教室の窓際で一人佇んでいた時の情景が出てきました。

「周りの子から友達がいない奴だと思われるのは恥ずかしい」という想いと、遊ぶ相手がいないことへの寂しさ・悲しさが出てきました。

そして、休み時間を一人で過ごすという状況に置かれることへの恐怖も出てきました。

出てきた想いと感情に意識を向け続けてクリアリングを行いました。

 

この段階で、まだ職場の人から嫌われることへの恐怖感は残っていたので、感情のクリアリングを行いながら、内観をすると今度は過去生(※)の記憶が出てきました。(※)今生における経験ではない記憶を過去生と仮定した。

出てきた記憶のイメージから江戸時代以前に百姓をしていた時の過去生のようでした。

私(の過去生)が住んでいた村において、何らかの要因で他の村人からのけものにされ、一人で生きていかなければならない状況に陥っていたようでした。(村八分のようなものだったのかもしれません。)

「一人で生きるのはとても辛く、苦しい」という想いと寂しさ、この状況に置かれることへの恐怖が出てきました。

厳しい自然環境や社会情勢の中で、村人同士で助け合いながら生きながらえていた時代において、一人で生きていくことは、とても辛く苦しいことだったのだと思います。

出てきた想いと感情に意識を向け続けて、クリアリングを行いました。

そうすると、「こいつらになぶり殺しにされた、許せない、悔しい」という想いと大量の怒りが出てきました。

強烈な怒りでした。

怒り狂って鬼になってしまったような感覚さえありました。

「末代まで呪ってやる」という想いも出てきました。

この過去生において、他の村人になぶり殺しにされたことにより、殺した相手を呪う想いと怒りを生み出していたようです。

 

出てきた想いと感情を感じ続けていくと、怨嗟の想いが「もう人を呪うのも疲れた。呪ってもしかたがない。」というものに変わり、身体から固まったエネルギーが抜けていき、昇華していくような感覚がありました。

そして、自分を縛りつけていたものから解きはなたれた、大きな解放感と喜びが沸き起こりました。

■取り組みまとめ

幼少期と過去生の経験で生まれた感情や想いが元となり、些細な出来事に対して過敏に反応し、職場の人から嫌われることへの不安と恐怖を生み出していたようです。

特に、職場の人から嫌われることが、仕事が回らなくなること・食べることができず生きていけなくなると感じることは、自分の生命を守ろうとするエゴの反応も引き起こし、強い恐怖感を生み出していました。

私の心の奥底にあった、人への怒り・許せない想いは、人と接するときにおいて、私の心をこわばらせ、自然体のリラックスした雰囲気を作ることを阻害する要因になっていたと思います。

 

■感じた変化

他人に嫌な思いをさせたしまったと感じる出来事があった時に、相手から嫌われることに対する恐怖が減り、その出来事に囚われにくくなりました。

そして、精神的な余裕が増したことにより、起きた出来事を客観的に捉えやすくなり、正確な状況判断や自分の行動の改善点に目が向きやすくなりました。

また、人と接する時において、以前よりもリラックスした状態を保ちやすくなり、人に対してより親しみが持てるようになったのを感じています。

こうした心理的な変化により、相手から嫌悪されることが想定される仕事の依頼であっても、伝えるときの抵抗感が減り、仕事を進めやすくなりました。

■最後に

私は学生時代より主に対人関係において、自分ではコントロールできないと感じる、ネガティブな心の反応に苦しんできました。

しかし、感情をクリアリングする手法を身につけたことにより、今回の取り組みのように感情的な反応を手がかりに、出てきた想いや感情のクリアリングを進めれば進めるほど、望まない感情的な反応が減り、生きやすさが増していくのを感じています。

このことは、自分で自分を変えることができる感覚、自分の人生をハンドリングできる感覚につながっています。

今後、ますます自分らしさを発揮して、生きることが求められる時代になってくると思います。
この流れにのり、有限の人生を悔いなく生ききるためにも、その阻害要因を減らす手法を身につけることは非常に有効です。

是非、この機会に感情の取り扱いを身につけ、実践して頂きたいと思います。

(注) 今回行った感情カウンセリングでは過去生の気づきが出ましたが、様々なワークや体験を積み重ねた結果起きたものであり、セッションで過去生の気づきがおきることを保証するものではありません。個人の体験として、あらかじめご了承ください。

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