資料のレビューで指摘されるのが怖い。そんな他者評価を手放す1つのシンプルな方法 

みなさん、こんにちは。感情カウンセラーの山田純平です。

平日はシステムエンジニアもしていますが、仕事柄レビューはたくさんあります。

何かにつけてレビューがありますからね。資料やプログラムの精度を上げるには大事な工程ですが、個人的にはかなり嫌なタスクでもあります。

ちょっとした記載ミスや不備は誰にでもあるものです。完璧な資料なんてほぼないでしょうからね。

頭ではそう思っているのですが、心や感情が「怖い」と反応してしまいます。

この前も、作成した計画書のレビューがありましたが、個人的には大まかな内容が記載されていればOKと思っていました。

詳細は別のタスクで落とし込むという想定です。

ただ、レビューを受けてみると上司の思いとしては、そうではないことが分かりました。

成果物に対する認識のズレですね。割とよくあるミスコミュニケーションのようにも感じます。

お互いの心の内はなかなか分からないものです。言葉で表現していない行間が多ければ特にそうでしょう。

事細かに説明するのも面倒なので、このような行き違いがどうしてもなくならないと感じます。

そんな訳で上司からすると、「えらいざっくりした計画書が出てきたな。」という印象だったのだと思います。

そうなると、突っ込まれ放題ですね。(笑)ズレが大きすぎてレビューにならない感じもありました。

こうなると、「自分が悪い、、」という思いが出てきます。

ただ、客観的に見ると上司も資料の粒度はわたしに伝えていないので、どっちもどっちとも言えます。

どちらも曖昧さはあった訳です。

なので、一方的に自分が悪いように感じてしまうのも変な感じがしました。

ただ、上司はこちらの資料の出来を認めていない感じだったので、余計そう思ってしまうのだと思います。

自分のスキルのなさや求める資料ができなかった罪悪感や劣等感のようなものがあり、それが指摘されることの「怖さ」につながっているのでしょう。

今回はこの「指摘される怖れ」を取り扱ってみました。

自分がダメな人間に思えてしまう。

計画書の不備を1つ1つ指摘されている時は、なんとも言えないバツの悪さを感じていました。

そもそもこのような資料作成はあまり得意な作業ではないので、完璧は無理だと思っていても実際に指摘されると嫌なものです。

自分がダメな人間のようにも思えてきますからね。

無理と思っていてもどこかで完璧を求めているように感じます。

指摘ゼロの状態があるべき姿で、そうでない自分はダメな人間のように感じてしまうのでしょう。

とてもいけない事をしたような感覚を感じながら指摘を淡々と聞いていました。

結構辛いですね。。

しかも上司は資料の出来を良く思っていないので、なお辛い。。

「ダメだなぁ俺、、」という自己否定を感じたくないんだと思いつつ、これが素直な感覚を邪魔している気がしました。

指摘されないように無難に生きてきた。

振り返ってみると、わたしは新入社員の頃からがむしゃらに頑張って仕事をしてきました。

それは仕事がタイトで納期が短いという理由もありますが、
誰からも指摘をされないために頑張っていた感じがしました。

だから、ミスや失敗、不備をなくすために細かな記載まで気にして頑張っていた感じです。

また、人一倍頑張っていると多少ミスや失敗などをしても指摘されにくいというメリットも感じていたように思います。

これが頑張るスパイラルから抜け出しにくい原因の1つかもしれません。

指摘が嫌で頑張ってしまう。。分からなくはないですが、もう少し自分に優しく生きたい気がします。

指摘されて怖くて凹んだ思いを感じていく。

これを改善しようと思い、資料の指摘された時を思い出して、その時の怖さを感じていくことにしました。

計画書の完成期限まではまだ時間はあるので、指摘の修正をする時間は十分にあります。

指摘する上司もズレた指摘をしている訳でもありません。

でも、指摘された時はどこか自分が否定された感じがして怖れが出てきます。

それをじっくりと感じていきました。

感じていくと、どんどんと胸の辺りがギュッと苦しくなってきました。

これを感じたくなくて、指摘されることを避けてきたのでしょう。

怖れを感じることは結構辛いですが、今後の指摘へのストレスを減らすために、あえて感じ続けていくことにしました。

胸のギュッとする感じを頑張って感じていくと、どんどん怖くなっていきました。

それだけ怖く辛い思いを感じないようにしていたのだと思います。

でも、もう少しだけ感じてみようと思い、粘って感じてみました。

そうすると、急に怖い感じが薄くなっていき、感じようと思っても手づかみ感がなくなっていきました。

さらに丁寧に感情を感じて、怖さが出なくなるまで処理していきました。

評価されて自分の価値が下がる感じが嫌だった。

指摘される怖さが出なくなってから、なぜ怖かったのかを冷静に振り返れるようになりました。

感情的になっている時は客観的に状況を観るのが難しいものです。

だから、振り返るのは感情をクリアにしてから!がオススメです。

今回思い出した指摘が怖い理由は「指摘されて自分の評価が下がり、自分の価値がないように感じるのが嫌だった」ことでした。

指摘されても評価が絶対に下がらないのであれば、「あっ、そっ。」ってなものでしょう。

相手がレベルの高い成果を求めて指摘してきたとして、それが出来なくても仕方ないはずです。

でも、怖くなるということは自分のやったことの評価を相手に委ねているという事でしょう。

実際には自分の作成した計画書でちゃんと出来ている部分はあると思います。^_^

ただ、その点は評価しないで、相手が言った指摘に対して凹んで自己否定してしまっているんですね。

このように、減点方式で自分を評価してしまうのはよくあることのように思います。

自分が出来た部分を加算方式で評価して、自分が思う合格点ならそれでOKという考えもあると思うようになりました。

指摘された時の怖さが軽くなった。

怖さを感じてクリアリングした後、また資料のレビューがありました。

システムエンジニアの仕事にレビューはつきものですからね。

もちろん、資料は完璧ではなく指摘事項がありました。

その時の心の状態は「全く問題ない!」とは言えないものの、心がチクッとした程度でした。

まだ、怖さが完全になくなった訳ではありませんが、レビューのストレスが随分と軽くなりました。

指摘が嫌なものではなく、アドバイスのように思えてきた。

実際にレビューの時は「怖い」という感覚が薄くなっていたので、相手の指摘をフラットに聞きやすくなっていました。

「確かに相手の意見ももっともだ。」と思えることも多く、個人的には「こいつ、なかなかいい事言うじゃん。」と思えることが増えました。(笑)

自分の資料の完成度を高めてくれているのであれば、助かりますしね。

相手も自分を責めるために指摘をしている訳ではないのでしょう。

たまには、完璧を求めて怒りをぶつけてくる人もいますが、作業が遅延していたり、納期がやばかったりするとそうしたくもなるのかもしれませんね。

まとめ

今回、指摘の「怖れ」を感じてクリアリングしていくことで、自分の心が過剰に反応していることが理解できました。

ただ、怖いと感じている時はそんなに冷静に考えられないものです。

感情が自分の仕事に余計な悪影響を与えているのを改めて感じました。

また「指摘=良くないこと」という思い込みにも気づくことができ、ポジティブに考えやすくもなりましたね。

頭で「指摘=より良くするためのアドバイス」と捉えることができたのも、「怖い」という感情をクリアリングしたお陰だと思います。

知識の理解も大事ですが、やはり心や感情の反応が優先されて行動してしまいます。

一般的な自己啓発の情報も、感情の反応を減らさないと心から納得できないのでしょう。

これが、世間の自己啓発本やセミナーが次々と出続ける理由の1つかなと感じた体験でした。

これからも、自分の感情をクリアリングして日常のストレスを減らし、自分の毎日がもっと幸せになる選択をしたいと思います。

自分の人生を「感情のクリアリング」で変化させてみたい方はお気軽にご連絡ください。

努力次第で、今までとは違った毎日が生きられるかもしれませんよ。

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