自分のことを自由に表現することが怖い 

SNSが怖い

SNSを多くの人が使用する世の中になりました。ここ10数年でもその変化は目覚しいものではないかと思います。一方でSNS疲れという言葉も聞かれます。投稿した内容に対して他者から思わぬ反応を受け傷ついたり、SNS上で無理に自分を偽って疲れてしまうことがあるようです。自分のことをよく見せたいという気持ちがいつしか負担になってしまいます。そのため、SNSを利用しない人もいるようです。

実のところ、私は長年SNSに対して苦手意識を持っていました。そもそも自己発信が苦手でした。私がSNSを使用し始めたきっかけは自分からやりたいという積極的なものではなく、友人の勧めでした。便利なものだからコミュニケーションのツールとして使うおうと誘われたのでした。もう随分前のことです。当時はみんなに言われたから仕方なくと思っていました。ただ始めるとなると、それなりにやらなくてはならないという思いも出てきました。とりあえず当たり障りのなさそうなことを書いてみるのです。それでも投稿しようとするたびに指がとまるのです。「う〜ん、これでいいかな。こんなこと書いて変だと思われないかな。」何度も書き直してみたり、やっぱり止めようと消してしまったりといった具合です。何かが私の手を止めるようでした。画面の向こう側にいる誰かのことを気にかけているのです。そんなことを繰り返しているうちになんとなく面倒くさくなり、いつしか遠ざかってしまいました。

しかし最近になって、仲のよい友人同士や仕事関係の方とのコミュニケーションとして使用する機会が増えてきました。すると以前より気兼ねなく使用することができるようになっていたのでした。以前よりも自分の意見を表に出しやすくなった影響でしょうか。仕事をする上でも、SNSをもっと活用してもいいかもしれないと思うようになっていました。

そんな時でした。ある女性からメッセージが送られていることに気がつきました。彼女は15年以上前に私が通っていた塾の生徒の一人でした。内心ギョッとしてしまいました。彼女とは特別いつも一緒にいたわけではなく、私としてはクラスのなかの一人といったイメージでした。特別仲がよかったわけではありませんでしたが、嫌いな人であったわけでもありません。しかし、なぜだかとても恐怖を感じたのです。彼女に対してだけでなく、その背後に何か恐ろしいものが隠れているような感じがしたのでした。

 

怖さの原因を探る

そもそも自己発信をすることで一体自分の身に何が起きるのでしょうか?

自己発信するということは、自分のことや自分の思いを誰かに伝えることになります。それを怖いと感じているようです。一体誰に知られることが怖いのでしょうか。また私の何を知られるのが怖いのでしょうか。

よくよく思いを巡らせると、昔の知人や友人に現在の自分のことを知られたくないという思いが出てきます。ごく最近友人になった人に対してはそこまでそのような思いを感じません。今まであえてSNSを使って過去の友人を探し出そうとしたことはありませんでした。必要以上に過去の友人を恐れているようです。なぜそのような思いが出てくるのかというと、今の自分を相手から拒絶されるのではないかという思いが出てきます。よほど嫌われるぐらいなら、こちらから近づきたくないとさえ思うのです。

おとなしいイイ子を演じた過去の自分

では過去の自分と今の自分に一体何の違いがあるのでしょうか。

そこで過去の自分を振り返ってみることにしました。いつ頃からでしょうか。子供の頃の私はどちらかというとおとなしいタイプでした。あまり自己主張せず、できればみんなと仲良くしたいと思っていました。特別誰かから敵対視されることもなく、一見穏やかに過ごしているようでした。学校ではいつも誰か友人が私のそばにいました。多少の喧嘩はあったにせよ、いじめにあったことや、友人のなかから孤立してしまったといったことはありませんでした。中学生の時には担任の先生に、君はかすみ草のような人だねと言われたことがありました。みんなの引き立て役といったところでしょうか。特別目立つような印象はなさそうです。かといって悪い印象もなさそうです。恐らく周囲からはそのようなイメージを持たれていたのではないかと思います。

しかし、当時から私は常に周囲を気にしながら行動をしていました。相手に嫌われないように、相手の反応に合わせて誰かと同じような行動をすることで安心していました。それは成長とともにより強固なものになりました。誰にとってもいい人でありたいと思うようになります。周囲を気にしてばかりいるので、なんだかいつも疲れていました。自分の本当の思いを抑え、夢中になれるものや好きと言えるものがなかったように思います。そう考えると子供の頃はなんとなくいつも誰かがそばにいるけれど、安心して自分をさらけ出せる人はいなかったように感じます。

自由な今の自分は受け入れられない?

では、現在の自分はどうなのでしょうか。

感情カウンセラーの講座の受講の影響もありますが、ここ数年で様々な活動を通じて心について学ぶことが多くありました。その結果、本当に自分が好きだったことが明確になり、仕事や生活全般を楽しむことができるようになりました。さらに好きなこと、やりたかったことにどんどんチャレンジし、新たに仕事として提供できることが増えました。私は自然の中に身を置くことや体を動かすことが好きです。正直なところ、子供の頃よりもずっと健康的で活発な生活を送っているのではないかと思います。周囲の人間関係も仕事のスタイルや考え方を尊重しあえる仲間が多いように感じます。

このように考えると、客観的にみても今の自分に何か問題があるようには思えません。過去の友人のなかに今の自分を非難する人がいるのか疑問なところです。仮に非難されたとしても悪いことはしていませんし、どうってことないようにも感じます。

本当は何が怖いのか?

では改めて一体何が怖いのでしょうか。自分に問いかけてみます。

するとやはり今の自分を受け入れてもらえないのではという思いがでてくるのです。では一体誰に対してなのか。よくよく思い返すと、それは両親に対して湧き上がる思いでした。

実のところ私が感情カウンセラーとして働くことに対して家族はいい顔をしていませんでした。カウンセラーになった後、ある時実家に帰省していた時のことでした。今の私がどんな仕事をしているのか、どんなところで働いているのかを問われました。感情カウンセラーになる数年前までは私は大学病院に勤務し医師の仕事だけをしていました。しかし、当時接していた患者さんや医療スタッフなどの人間関係の影響や人生や生き方に対する疑問などから新たな世界に踏み出したのでした。その一つが感情カウンセラーとしての活動でした。

医師である父や医師の家系で育った母にとって、それぞれのイメージする医師像があり、その範疇を超えた行動が理解できないといった考えのようでした。

「カウンセラーなんてわけのわからない仕事をしてどうするのよ。」

「気のおかしくなった人の相手をするのでしょう?おかしなことはやめなさい。」

「一体あなたはどうしちゃったのよ。昔のあなたはとすっかり変わってしまって、おかしくなってしまったの?」

そんな言葉をかけられました。相手のカウンセラーに対する認識はさておき、このように言葉をかけられた時、私は怒りと悲しみが出てきました。自分のやりたい仕事をみつけこれから活動しようとしている時に、私のすることに対して強く批判されたように感じたのです。私は両親の言葉の後に込み上げるものを感じましたが、イライラしながらその場を離れてしまいました。

自由に振る舞えなかった過去を思い返して

そんな出来事を思い返しながら再び当時の感情を感じることにしました。

「どうして私の両親は私のことを批判するのだろう。子供の頃からやりたいことを我慢してきたのに。」

「親の言うことを守って頑張ってきたのに。」

「やりたいことをやれなかったのは両親のせいではないか。」

思い返すと、かけられた言葉に対してだけではなく、遠い過去から積もり積もった感情が湧き上がっていきます。悔しくて、悲しくて涙がどんどん溢れていきました。今の自分を受け入れてもらえない悲しみ、好きなことに対して批判されたという怒りから始まり、過去からの親の言いなりなってきた事柄が次々に思い起こされます。体が硬くなり手が痺れるようです。

それはいろいろなものが混ざり合っているようでした。とりあえずあまりにも溜め込んだ感情の量が多すぎるので、浮かんできたものから少しずつ解消していくことにしました。湧き上がった感情を自分で客観的にみられるようにします。ふーっと深く息を吐きながら少し遠くに自分の感情を切り離しあたかも別のものになったように扱います。すると、先ほどまで涙が溢れて苦しかった胸が少し楽になってきました。ああ、私苦しかったな。頑張っていたんだな。

子供のに抱いた想いの解消

しばらく感情を解消していくと、ふと自分に対して否定的な言葉をかけられた情景が思い起こされてきました。相手から発された言葉以上に、相手の発言する時の唇の震えであったり、苦しそうな顔のゆがみであったり、相手との間にある空間が不安定に震えるようなそんな感覚を思い出しました。その感覚を察知した時、急に私の胸に太い柱がグサリと刺さったような気がしたのでした。

その瞬間、私のすることで親を悲しませているのではないかという思いが出てきたのです。

「私が好きなこと、やりたいことを素直に言ったら、親を悲しませてしまう。」

そんな悲しみが湧き上がってきました。胸がぐっと痛くなり辛くなってきました。それは遠い昔に抱いた思いだったように感じます。そのきっかけがなんであったかは思い出せませんが、少なくとも自分の行動で親が悲しむ場面を目の当たりにした時に抱いたように感じます。それはとても悲しくて、悲しくて、自分がとても悪い子なんだと思ったのでした。

私は物心がつくかつかないかわからないほど前から、親とコミュニケーションをとる時に相手の求めるものをいち早くキャッチしようと相手の領域に探りにいくような行動をしていました。そのほうが傷つかなくて済むのです。そのためには相手の顔色、言動がとても気になります。常に親の目が気になるようになったのでした。そのような癖ができたことで気がつかないうちに、自分で自分の行動を制限していたのでした。好きなことをすることが悪いことになってしまったり、自由に発言することが怖くなってしまったり、周囲の反応がきになって自分らしくいられなくなってしまったのでした。

自由に表現してもいい

本当の自分を自由に表現する。好きなことを素直に好きと言える。そこには自分に対する信頼が芽生え、力づよさがみなぎるようです。

ひょっとしたら、親を心配させているかもしれない。けれども納得させなければいけないことでもない。ただ、私の好きなことを表現したり、実現していくことが今の自分には大切なことなんだ。

そんなことを思えるようになると、なんだかもっと人に会いたくなってきました。

いろんな人に出会っていろんな人とつながっていきたい。どんどん自分の領域を広げていきたい。

SNSは便利です。自由に自分を表現できます。

SNSは怖いものなのでしょうか?確かに使い方には注意を要することもあります。特別誰かを攻撃する意図がなくてもいろんな反応をする人がいることも事実です。しかし、自分の表現を素直にすること自体は悪いことでも怖いことでもないのかもしれません。

自分のことを表現できない影には気がつかない思いが隠れているのかもしれません。もし周囲に合わせて行動していたり、本当の自分を抑える行動をしていたりする場合は思いもよらぬところに原因がみつかるかもしれません。

後日、先ほどの彼女からメッセージをもらいました。私の書いているブログを読んで、仕事を始めてから悩んでいたことを思い出したり、家族のことを思い出したりと自身の状況を重ねて感動したとのことでした。そう言っていただき自分らしくいられることがより一層嬉しくなりました。

 

上に戻る