仕事のメールを見るストレスが軽減する感情の対処法。
私は普段、システムエンジニアをしていて、現在はプロジェクトの関係で親会社に常駐して作業をしています。
そこではプロジェクトチームごとにメーリングリストが用意されており、連絡事項は登録されている関係者全員にメールが配信され、私宛のメールもあればそうでないものも送られてきます。
大半は私の作業には関係のないメールですが、私宛のものもあるため、日々全てのメールをチェックしています。
ある時、メールを確認する際に自分宛てのメールがあると思うと、なんだか怖い感じがしました。
何かの合否を待っている訳でもなく、失敗やミスなどを隠している訳でもありません。
いつもと変わらない日常の一コマです。単にメールを確認するだけですからね。
それなのに「なぜ、怖れが出てくるのか?」気になりました。
この記事の目次
間違いを指摘される怖れ
メールを見るときの感覚や感情に意識を向けてみると、ダメ出しや間違いを指摘をされるのを怖れている感じがしました。
私が作成した資料の誤字や内容の不備を指摘されるのをいつも気にしてビクビクしいる状態です。
今のプロジェクトでは資料をチームリーダーが必ずチェックします。
そして、必要に応じてフィードバックがあります。
でも、それが純粋に怖いと感じていました。
メールを開くときはどこか体が緊張していて、胸のあたりが少しキューっ!と締め付けられる感じがするときもあります。
また、どの観点で突っ込まれるか分からない不安もあり、いつ指摘されてもおかしくないと思っていました。
今回のユーザーは品質向上の関連から頻繁にレビューや作業の確認を行っており、細かな点でも指摘が入ります。
私は今までそれほど細かな観点でレビューを受けた経験がなかったため、今になって怖れが強く出たのだと思います。
また、怖れとは違った反応として、怒りも出てきます。
細かな指摘をされた際に「資料の目的からしたら問題ないだろう!無駄に細かいヤツだ!!」という感じです。
文章や資料は見る人の観点によってなんとでも突っ込めるので、特にそう感じるのかもしれません、
実際に「それはお前の好みだろ!」という指摘も割とあります。
このように、可能性という意味では指摘を受けるリスクはゼロにはならないので、いつもどこかで怖れてしまうのでしょう。
いつもミスがないかを気にして、緊張している。
そういえば、小学生の頃から何か指摘をされるのはとても怖いことで、嫌なことでした。
それが辛くて、人を避けて感情を感じないようにして生きてきたのだと思います。
また、指摘された際に「嘘」をついてごまかす事もよくありました。
嘘で言い逃れが出来るなら、それでいいと思っていましたね。
思い返すと、「人からの指摘にビクビクしている怯えた小動物。」のようでした。
他にも「どーせちゃんとできないし、、」というやさぐれた感覚もありますね。(笑)
私のイメージとして「出来る人」とはミスが全く無い状態と思っていて、「それが出来ない自分はダメだ。」という想いを強くしているように思います。
「ミスがゼロ!」という不可能な自分像を求めているので、自分で自分を苦しめてしまっていました。
また、ソフトウェア開発という観点では小さなミスが大きなトラブルになることもあるので、不具合ゼロを求められることも影響しているかもしれません。
入社当時から振り返ってみると、ずっと「全ての不具合を見つけて事前に対応すべき!」と頑張ってしまい、神経をすり減らして仕事をしていました。
ずべてのパターンをテストしたと思っていても、「何か見落としていて、トラブルの連絡があるのではないか?」という不安をいつも感じていました。
そのような状態だったので、毎回システムの本番稼働を迎えるまでに何度かは夜中に腹痛で起きていたのを思い出しました。
相当なストレスだったのでしょう。
「指摘=悪いこと」と感じてしまっているので、常にどこかビクビク緊張して作業をしていました。
メールを見るときの怖れや不安を感じる
日々、感じている怖れをこのまま引きずるのは辛いので、なんとかしたいと思い、その時の怖い感情をクリアリングすることにしました。
今回は自分にとってハードルが大きい感じがして、あまり乗り気ではありませんでした。
ただ、「何もしなければ変わらない。」と思い、お気軽にやってみることにしました。
まずはメールを見るときの怖れに意識を向けてみました。
キューっと締め付けられるような感じは辛くて、嫌なものです。
そこを踏ん張ってもう少し丁寧に感じてみると、胸のあたりで怖れの感覚を捉えることが出来ました。
そのぼやっとした感覚を感じていると、だんだんと黒っぽい塊のようなものが知覚できました。
「これはなんだろう?」と思いしっかりと意識して感じるようにすると、次第に形がはっきりしてきました。
それは黒い楕円形の石みたいな質感で、少し苔のようなものが生えている感じがしました。
それを包み込むように感じていると、つるつるした表面に変わっていきました。
さらに感じていくと除々に薄くなり消えていきました。
そして、奥の方から大きく光る白い玉が出てきました。
諦めずに感じていると光は少しぼやけて弱くなり、そこから変化しなくなりました。
一旦、この日はこれでクリアリングを終えることにしました。
自分をダメな人だと思っている。
今回のクリアリングで「メールを見るのが怖い」原因として、「自分をダメな人と思っている。」ことが影響を与えていると感じました。
自己認識としてはそこまで自分を否定しているとは思っていませんでしたが、心の深い部分では違ったようです。
自分の存在価値を否定するバーストラウマやインナーチャイルドの影響かもしれません。
客観的に自分で自分を理解するのは難しいですね。
また、ミスのない完璧な状態を合格ラインとしている傾向もあり、適正な基準に書き換えたほうが良いと感じました。
「自分に起こっていることは自分が作り出している。」という話を聞いたことがありますが、本当にそんな感じでした。
考え方や在り方を変えれば、自分の起こる状況も変わってくるということです。
その観点では、感情のクリアリングは有効だと感じました。
自分をダメとしている感情もしっかりとクリアリングしていきたいですね。
自然と前向きに生きる感覚が強まった。
感情を感じてクリアリングした後、仕事のメールを見てみると、明らかに感覚が変わっていました。
以前よりも胸のあたりのキューッとした苦しい感覚が薄くなっていましたね。
また、なんとなく心の透明感が上がったような感じがしています。
いつもの景色がクリアに見えて、視力が上がったように思いました。
今までに溜めた感情が視界に影響しているなら、今後の変化が楽しみです。
そして、日々感じていた緊張やストレスが軽くなった感じがして、自然と前向きに考えやすくなりました。
少し余計な囚われが減って「自分のままでいきてもよい。」という感覚が上がったように思います。
メール確認のストレスが大幅に減った。
現実的にはメールを確認する時に感じていた怖れが、「ちょっと気になる」程度に軽減しました。
毎日メールの確認を行うストレスが減り、仕事中に感じていた不快や緊張感が軽くなりました。
こんな事なら今まで不快な思いをそのままにしないで、「もっと早く感情のクリアリングをしておけばよかった。」と思いましたね。
嫌なことは無意識に避けたい心理が働くものですね。
改善しなくても、見ないようにするほうが楽なのでしょう。
普段のストレスが減ると、そのエネルギーを自分のやりたい事に使えます。
そうする事で日々の充実感が上がりました。
「嫌な作業」という認識も緩まり、そこそこ快適に仕事ができるようになりました。
感情のクリアリングを行うと、これだけ現実に変化があるんだと改めて効果を感じました。
一瞬で良くなる訳ではありませんが、日々の地道なクリアリングが結果的に大きな収穫をもたらすと想います。
週末は農業をしていますが、野菜もすぐには育ちません。
種まきから地道にサポートをを続けて、元気な野菜が育ちます。
なんとなく、感情の取り扱いも同じように感じました。
感情のクリアリングはやった分だけ結果として現れるので、効果の実感を得やすいのでお得に感じます。
そして、少しずつ感情的な反応が減る実感があり、クリアになっていく自分が嬉しいです。
まとめ
今回の出来事で、日常の些細な感情に意識を向けてみることの重要性を感じました。
日々の小さなストレスでも、積み重なって自分の心や現実に影響を与えています。
そのストレスとともに出てくるネガティブな感情をクリアリングすることで、現実が少しずつ変化しく体験でした。
結果的に感情を「嫌なやつ」としないで、向き合いやすくなったと思います。
そう考えると、表面的には嫌な事や不快な出来事も「現実をより良くする種」とポジティブに捉えやすくなりますね。
現在、自分に起きている出来事をプラスにしていけるよう、感情と仲良くしていきたいと思います。
誰しも大人になって働き始めると責任や義務など「やるべき事」に追われて、上司や顧客の評価を求めてしまいます。
これは生きていくために有効かもしれませんが、自分をすり減らすことにもなります。
だから「毎日がつまらない。辛い。」と感じるようになっていくのでしょう。
そんな時に大事だと考えているのが、
「今の自分を大切にする。」在り方です。
子供の頃は好きなことを中心に生きていたはずなのに、誰しも大人になるとそれができなくなってしまうものです。
その主な要因として、
・小さな頃にやりたいことをさせてもらえなかった。などの「満たされなかった欲求」
・自由に遊んでいたら「うるさい。」と親に叱られた。というような「傷ついた経験」
などの「インナーチャイルド」が影響していると考えます。
子供の頃から自由に振る舞うことは、わがままや自分勝手で「ダメな事」として成長するのが一般的であるため、「素直な自分の感情や感覚を無意識に抑えてしまう。」のでしょう。
「辛くても、楽しくても、人生は一度きりのもの。」
周りの目や評価を気にしすぎないで、今から「自分らしく人生を楽しむメンタリティ」を一歩ずつ養っていきませんか。
気軽に心のもやもやを話すことで、少し心がすっきりして
「これからの人生を楽しもう!」という気持ちに近づけると思いますよ。