他人を理解したくない気持ちはどこからきたか? 

こんにちは、山田結子です。

最近、ようやく緊急事態宣言も落ち着いて、外をみるとお出かけ中の車の数も増えています。周囲の人たちも出かける人が増えてきて、少し日常が変化してきたように思います。

今回のテーマは、『他人を理解したくない気持ちはどこからきたか?』です。

先日、電車に乗っていたところ、何かを思い出してイラッとすることがありました。その直後に、イラッとしたことを無かったことにしようとする気持ちが動いたのがわかりました。

はじめは意識できずに、携帯のチェックを始めようとしました。しばらくして、何か起きていたことに気づいて、原因を探ってみようと思いました。

どうやら、他人のことを考えようとして、イラッとしたように思いました。何に対してイラッとしたのかはもう思い出せませんが、誰かのことを考えようとしてやめたような感じでした。

「他人のことを理解したくない気持ち」があるということだけわかりました。曖昧な感じですが、まずはここからスタートしてみます。一瞬のことだったのですが、重要なテーマが隠されているような気がしました。

 

まず、他人のことをなぜ理解したくないのか、漠然と意識してみました。すると、強い恐怖心が出てきました。他人のことを考えようとするだけで、フリーズするくらい、強い感情でした。

その感情はどこから来たのか、いつ感じたものなのか、関連する物事をいくつか思い起こしてみました。

ふと、中学時代に学校には暴言を吐く人たちがたくさんいたことを思い出しました。彼らは、口々に不平不満を言い、乱暴な態度をとり、他人を見下すような発言をしていました。私は、彼らとは積極的には付き合えるようなタイプではありませんでした。消極的であまり発言せず、大人しく真面目に振る舞うので、特に問題視もされないタイプだったと思います。

その状況を思い出すと、他人を理解する良さを知る前に、理解することのできない人を前にして無力感を感じてしまったようでした。私は、なぜ彼らがそのような生き方をしているのか、何を意図してその態度を取っているのか、何が楽しくて癇に障るような笑い方をするのかわかりませんでした。そういう人たちの存在が怖いと思っていました。

共感できるようには思わなかったです。正直、同じ学校に来ている以外、なんの共通点もないような気がしていました。

それから、できるだけ人との関係を深めすぎないようにしたり、自分の本音を見せないようになりました。小学生の時にも、本音を伝えてはいけないと思う体験をしているので、中学時代にはそれが強化されていました。

 

当時の状況を詳細に思い出してみようと思いました。

私は学校の中で常に恐怖を感じていて、他人から暴言を吐かれることを怖れていました。怒らせないように他者に配慮している面もあったかもしれません。実は、その人たちを見下していたのかもしれません。彼らのように生きてはいけないと、かなり強く思っていました。だからこそ、彼らは攻撃性をこちらに向けていたのかもしれません。お互いに本当に興味がなければ、接点すら生まれないものです。

感情も感じてみると、まず怒りが出てきました。

私自身も学校に行きたくて行っているわけではなかったと意識されてきました。特に面白いとも思っていません。けれど、私は我慢して勉強していたり、学校にきています。だから、学校に来て不平不満を言ってる彼らの態度に反応したのかもしれません。実は、私自身も同じくらい強い不満を持っていたのかもしれません。

怒りを感じていくと、今度は恐怖心が浮上してきました。

私は道を誤ることをものすごく恐れていたという感覚が出てきました。道を誤ったら、大変なことになると感じていました。私がいつも直面している危機的な現実を親は理解してくれないと思っていました。どれほどの危険と向き合っていて、薄氷の上を歩いている気分で日々を過ごしても、両親にとっては学校に行くことは当たり前でしかありませんでした。

一体、何をそこまで怖れていたのでしょうか。

私は、社会のレールから外れてしまうことや、他人から復讐されること、村八分のような扱いをうけることを恐れていたようでした。

当時は自分のことで精一杯すぎて、他人のことを理解する余裕もなかったようでした。話をすると、否定されるような気がしてしまい、人と話すことが怖くなっていました。

そして、他人のことを理解しないうちにコミュニケーションをとることができず、相手に自分の真意が伝わらないような話し方が身につきました。小学生くらいまでは思っていることをストレートに言ってしまうタイプでしたが、後から悪口を言われたり、自分が話したことを拡大して噂を広められたりと色々な体験をして、自分のことを話さなくなりました。

 

 

誰からもいい人に見えるように努力して話していたかもしれません。話す相手一人一人が不満を持たないように、相手の言うことに合わせていました。今思えば、大人でも面倒くさいような涙ぐましい努力をしていました。

しかし、本音を表現しない私は、多くの人にとって魅力がなかったかもしれません。また、私自身が色々な自分を演じるのに疲れてしまったこともあり、あまり多くの人とコミュニケーションをとろうという気持ちになれませんでした。少数の人とだけ話して、学校の中でも目立たない生活を送っていました。

話しかけられると、非常に億劫で、言葉を探すのに疲労感がありました。相手のことまで考えながら話すので、常に億劫でした。自分が思ってる通りにどんどん話していたら、そんな風には思わなかったでしょう。この悩みは、自分の本来の気持ちをストレートに表現することを禁止された人たちに共通の悩みかもしれません。

家庭では母に合わせ、弟に合わせ、父に合わせ、学校でも誰かに合わせ、次第に疲労が蓄積されてきたように思います。そうしているうちに、人から話しかけられないように意識をつかうようになりました。勉強はよい言い訳です。誰とも話さなくていいので、楽でした。

しかし、このような体験からコミュニケーションに強い苦手意識を持ってしまいました。今では、他人を理解するのにそこまでの労力はかかっていなくても、他人を理解しようとすると、当時の苦手感が呼び覚まされ、無感覚になってしまうようでした。

 

どうやって、これを改善していこうか、しばらく考えてみました。

すると、漠然とですが、コミュニケーションに理想のモデルがあるという思い込みがあるようにも思えてきました。理想のモデルがあるから、そのやり方でコミュニケーションをするようになったのではないかと思ったのです。

子供の時に私が喋った内容で、怒られたり褒められたりしていたことを思い出しました。近所のクリニックで、医者の手が冷たかったので、私は怒ってお金を払わなくていいと言い、親をドン引きさせたことがあります。一方、早く言葉を覚えたり、難しい言葉を使えると褒められました。

二つの事例を比べると、親をドン引きさせた方の発言が、なんとなく私の本音のような気もします。

つまり、私の本当の気持ちを表した言葉は、親から受け入れられなかったのです。これがたった一つの事例ではなく、同じようなことが何度もあったのでしょう。母は怒ると、私を無視したり、不満を言い、私も嫌な気持ちになりました。そうした体験が積み重なって、自分の思っていることや感じていることを他の人にも言えなくなっていったのでしょう。

そういえば、小学生くらいの時、私のいうことを誰も聞いてくれないと言ったことがあります。その時の同級生の中で、「私は聞いているよ」と言ってくれた子がいました。今思えば、その子ともっと仲良くすればよかったと思います。

ここまでの流れを見つめ直してみると、私の本当の気持ちをしっかりと受け入れることが大切であって、他人を理解することはその次に考えることのような気もします。しかし、日々の指針が何かあった方が良いかもしれないと思い、他人を理解したくない気持ちをどうやって変えようかを引き続き考えました。

 

いくつかの案を考えて、一つ良さそうなものを思いつきました。

他人を理解するときに、合わせて自分を理解するように努めるのです。自分とその人の価値観や経験、性質の違いや類似点を意識して、自分のことと相手のことを同時に理解するようにするのです。

それなら、他人を理解することが、私のことを理解し、私にとって良い選択をできる足掛かりになります。

試しに、その考え方を使って、その時に目の前にいた人を観察しました。

はじめ、私はその人の着ているTシャツが好ましくないと思いました。なんとなく、お化けの柄が描いてあって、いいデザインに思えなかったのです。でも、その人はそのお化けが可愛くて買ったのかもしれません。私の考えは、その人にとっては余計なお世話でしょう。

そして、その考え方を使うと、私にとってそのTシャツは「不愉快」なくらい嫌なデザインに思えたのです。そう、私にとって不愉快な感覚があり、思わず暴言を吐きたくなるくらい、そのデザインが気に入らなかったのです。そんなに強い否定感があったことに、気づいていませんでした。

私は他人を否定したり批判するのを、悪いことだと考えていて、自分のそういう気持ちを強く抑圧していたのでした。批判的な要素が入っている言葉は、話そうと思っても、言葉が出て来なくなるようでした。

その状況を改めてとらえると、自分の気持ちが否定的であれ、肯定的であれ、自分の本音と向き合っていく気持ちが重要だと思えてきました。実は、他人が怖いと思ったのも、自分の中に湧き上がる、凶暴な本音があったのかもしれません。道を誤って見えるような人たちを否定して、彼らの持っている本音と葛藤を理解できていなかったのでしょう。ある意味、正しい道は一つだけという思いこみもあったかもしれません。

現代では多様な生き方が推奨されていますが、私の中身はまだまだ昭和スタイルから抜けきれないなぁ、と思います。私の中も世間と同様、多様性を広げていきたいと思います。

この取り組みが、皆さんの気持ちを理解するヒントになれば幸いです。

ではまた。

自己探求&感情カウンセラー 山田結子

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