アスペルガー夫の”子供連れ去り”を超えて   new

「家空っぽ事件」勃発

 

7年前の夏の暑い日、私の人生を大きく揺るがす事件が起きました。

 

一泊の出張から帰宅すると、家の中が空っぽになっていたのです。

 

エアコンも洗濯機も冷蔵庫もなく、

キッチンにはタオル一枚、箸一膳すら残っていない、

まるでマンションの内覧会のような光景でした。

 

夫が家中の荷物と共に、小4の息子を連れ去ったのです。

 

私は愕然として玄関で倒れこみ、天が崩れ落ちてくるような感覚に襲われました。

 

この事件をきっかけに、私は自分の感情と徹底的に向き合う旅を始めることになります。

 

息子が無事に我が家に戻ってくるまでの間、

私がどのように感情を感じ、解消していったかをお伝えしたいと思います。

 

 

「仮面の私」と「素顔の私」

 

当時の私は、「仮面の私」と「素顔の私」を同時に生きていました。

 

外では、ワーキングマザーのロールモデルとしての「仮面の私」、

家では、息子を連れ去られた悲しみと向き合う「素顔の私」です。

 

「仮面の私」は、翌日も何事もなかったかのように会社に出勤し、淡々と仕事をこなしました。

 

本当ならショックで寝込んでもおかしくないような大事件。

 

でもプロジェクトをリードするコンサルタントとしての責任感と、

周囲に知られて自分を見る目が変わるのが怖いという気持ちから、

心に鞭打って平常心の仮面をかぶり、外向きの自分を演じました。

 

当時の我が家は、周囲からは、夫と息子のいる仲の良い三人家族に見えていたようです。

 

子煩悩で、同じコンサルタントとして私の仕事にも理解のある(ように見える)夫と、

ワーク&ライフバランスを上手にとっているワーママの私。

 

後輩から子育てと仕事の両立についての相談されることもよくありました。

 

 

一方、「素顔の私」の心は、正直ボロボロでした。

 

しばらくは息子がどこにいるのか、住所さえわからず、夜も眠れない日々。

 

ちゃんとご飯を食べられているか?

学校に行けているか?

どんな気持ちで過ごしているのか?

 

2ヶ月前に夫が突然、離婚調停を起こし、私は、三人で暮らし続けられるように円満解決を希望した矢先の出来事。

 

裁判官も調停員も、前代未聞の事件と驚きました。

 

 

自分を責める

 

子供を突然連れ去るという夫の一方的な暴挙にもかかわらず、

ともすると私は、「自分のせいかもしれない」と自らを責めていました。

 

夫にはアスペルガーの傾向があり、特に子育てに関しては、強いこだわりを持っている人。

 

なので、それまでの結婚生活において、私が何か異なる意見を言おうものなら

「お前は、ダメな母親だから何もわかっていない」

「仕事にかまけて、子供のことをないがしろにしている」

と否定され続けました。

 

そして7~8年ほど前に私は、カサンドラ症候群と診断されたのです。

 

※カサンドラ症候群とは
共感性の低いパートナーとの関係で、適切なコミュニケーションが取れず
心身に不調をきたす状態。

 

「夫の言うように、私が母親・妻として至らなかったからこんなことになったのではないか」

「私には、息子を育てる資格がないのではないか」

そんな自己否定感が、私の中に深く根付いていました。

 

 

息子と暮らすために

 

調停期間中、夫は月に1度しか息子に会わせてくれませんでしたが、

息子は「早くお母さんと暮らしたい」と言ってくれました。

 

その言葉を聞くたびに私は、挫けている暇はないと自分を奮い立たせ、感情に向き合う決心をしました。

 

 

初めに出てきた感情は、息子が私のもとに戻って来られないかもしれないという怖れや不安でした。

 

何年もの間、夫から否定され続け、息子を連れ去られるという事件まで起こされて、母親としての自信は砕け散っていました。

 

息子を連れ去った後、夫は義母を呼び寄せて息子の生活全般を見てもらっていたので、

私は要らないという審判が下るのではないかという不安さえ、心に大きくのしかかってきたのです。

 

このまま一生離れ離れになってしまうのではないかと、最悪の事態まで思い浮かびました。

 

そうした不安や怖れに向き合い、少しずつ解消していったのです。

 

 

次に出てきたのは悲しみ

 

互いに理解し合い、同じ方向を向いて家庭を築いていきたいと考えて結婚した夫に認めてもらえないどころか、

否定され無視され続けたことによる孤独感と悲しみが押し寄せてきました。

 

私がずっと我慢してきた感情でした。

 

 

そして最後に出てきたのが怒りと悔しさ

 

家を空っぽにされ、大事な息子を連れ去られ、月に1度しか会わせてもらえない。

 

アメリカなら犯罪にあたるような事件なのに、日本では調停でしか話し合えないもどかしさ。

 

でも私の感情がわだかまっているうちは、調停でも戦えない。

 

だからこそ、どんなにつらくても逃げずに感情と向き合い続けると決め、実行したのです。

 

 

「2人の私」に気づく

 

私は、「仮面の私」と「素顔の私」を同時に生きようとしていたことに気づきました。

 

【仮面の私】

 

ワーキングマザーのロールモデルであり続けたいという思いから、外での私は、いつも厚い「仮面」をかぶっていました。

 

家では深刻な事件が起こっているのに、外では幸せな家庭を持つ優等生として振る舞い、その仮面を剝がされることを怖れていたのです。

 

そんな仮面をかぶらなければいられなかったのは、自己肯定感の低さと自信のなさが根底にあったからです。

 

息子が物心ついた頃から夫に否定され続け、最後の数年は、家庭内で存在しないかのように無視されてきたことが原因でした。

 

もし親しい人がそんな家庭内の状況を知っても、これまでがんばってきた事実は消えることはなく、私への信頼が揺らぐこともないはずです。

 

それでも当時の私は、それを信じることができずに、分厚い仮面をかぶり、理想の自分を演じ続けていたのです。

 

 

【素顔の私】

 

その仮面の裏に隠れていた「素顔の私」の心には、息子を連れ去られた悲しみ、

この先、戻って来られないかもしれないという不安、

こんな仕打ちをしてきた夫への怒りなど、

様々な感情が渦巻いていました。

 

私は、そうした感情をずっと見ないように感じないようにしてきたことにも気づきました。

 

 

感情が戻ってくる

 

私は毎日欠かさずに、感情を感じ続けました。

 

感情カウンセラーとして、感情のクリアリングを知ってからは、感情を感じないでサボっていると(笑)、もっと大変な出来事がやってくるという実体験もありました。

 

だからこそ、今が正念場と腹を括り、徹底的に感情に向き合いました。

 

感情に蓋をして心を凍らせて仮面をかぶっていた過去の私が感情に向き合うことで、心に血が通い始めたようにも感じられました。

 

 

現実が動きだす

 

調停員や調査を担当する児童心理学の専門家から

「こんなに大変な目にあったのに、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか?」

と聞かれることもありました。

 

「息子が安心してうちに戻ってこられるように、自分自身に向き合っています。」

と答えました。

 

調停では、息子の養育権と親権について話し合うことになり、私は母親としてこの10年やってきたことを丁寧に書面にまとめ、証拠と共に提出しました。

 

学校の先生方も、私がしっかりと息子に関わってきたことを証言してくれました。

 

夫からは、常に「ダメな母親だから、お前は要らない」と言われ続けてきましたが、

これまでの息子との関わりがゼロになってしまうことはありませんでした。

 

事実が私を支えてくれたのです。

 

次第に、息子を取り戻すことへの自信も湧いてきました。

 

調停期間は、先が見えずに長くつらいものでしたが、

10年間の子育てを振り返ることで、私は母親としてがんばってきたありのままの自分を受け入れ、

息子と共に新しい生活を始めるための心の準備もできました。

 

そして半年の調停を経て、私のカサンドラ症候群は跡形もなく消えていたのです。

 

 

7年後の息子

 

あれから7年、息子は高校2年生になりました。

 

無事に私のもとに戻ってきた息子には、その後、感情カウンセリングを通じて

丁寧に心を癒すサポートをしてきました。

 

アスペルガー傾向のある夫のもとでは、父親の顔色をうかがいがちだった息子ですが、

次第に自分の好きなことを口にできるようになり、

先月は自ら希望して、カナダに短期留学にも行ってきました。

 

私自身も、夫と出会ったことで、アスペルガー症候群の人の生きづらさを理解し、

今では客観的に受け入れられるようになりました。

 

夫が息子を連れ去った出来事も、彼が固定観念を手放せなかった結果だと、今では思えます。

 

もしあなたもアスペルガー傾向のあるパートナーに悩んでいるなら、まずはご自身の感情に向き合ってみてください。

 

相手との距離感もとれるようになり、あなたらしく生きるための第一歩になるかもしれません。

 

「どう向き合えばいいのかわからない」

 

そんな時は、ぜひご相談にいらしてくださいね。

 

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