父親の否定から、肯定への変化 

昔から父親とはぶつかっていて、思春期の頃にはよく言い合いをしていたものでした。

 

しかし、大人になって、家を離れ、適度な距離感ができたからでしょうか?

表面的にはうまく接することができるようになって、たまに言い合いをする程度の関係に落ち着いていました。

 

しかし、母親への抵抗の少なさから比べると、父親への抵抗は大きく、改善の必要性は感じていました。

 

父親は社会、母親は人間関係に投影される、という話もありますが、どこか「自分は社会から受け入れられない」という感覚は強かったように思います。

 

そういうこともあり、このままではいけないと思い、父親と定期的に電話で話す機会を持つことにしました。

 

 

父親の反応

なんとなく、表面上で接している時はぶつかり合ってしまうが、その下の部分では似ているのではないか、という予想がありました。

 

そこで、父親と話す中で、過去について聞くようにしました。

(それまでは、あまり昔の話を聞くこともなかったのです)

  • ちょうど終戦前の逃げ回っている時期にお腹の中にいて、生まれたこと。
  • 小さい頃は引っ越しが多かったこと。
  • 父親は武士の家で、長男として厳しく育てられたこと。
  • 母親は商人の家で、商人の親戚たちに囲まれて育ったこと。
  • 高卒で保険会社に勤め始め、職場結婚したこと。
  • 高度経済成長までは、会社は比較的時間に余裕があって、演劇や映画観賞、野球、組合活動など、様々な活動をしていたこと。

 

ある程度忙しくなってからの父親のイメージが強かったので、また違った側面を見れたように思います。

 

また、ずっと神戸だったと聞いていたので、引越しが多かったのは意外でした。

どうも近場で、何度も引越しをしていたようです。

 

近場での引越しだったためか、すぐに友達もできたようですが、成長期に引越しが多かったのは、それなりに影響は大きかったものと推測されます。

 

自分も親の転勤で、引越しの多かった幼少期を過ごしたので、父親も似た境遇だったのかもしれない、と思いました。

 

自分は香川、埼玉など、神戸に戻ってくるまで計5回引っ越していて、仲良くなってもいつかは友達と離れてしまう、と言った寂しさを感じていたのでした、、

 

 

そうした中で、子供の頃に傷ついた経験があったかどうかを聞いた時のことです。

 

なぜかすごい反応が出ました。

「そんなものはない」と否定するような状態になったのです。

 

突然でびっくりしたのですが、これは小さい頃からずっと、何度もあったパターンだと思い出しました。

父親には、どこか踏み入れない領域があったのです。

 

表面的には良好な関係になっていましたが、ずっとここには壁があったことに気づきました。

 

 

反応により思い出した怖れ、悲しみ

以前だったらこういう時、こちらも反発して、父親を否定してしまっていたのだと思います。

そして、自分の感情にも蓋をしてしまい、その奥にある感情に気づかなかったように思います。

 

今回はそれに気づけたので、反応を捉えつつ、感情を感じつつ、話を続けました。

 

怖れを感じていると、その裏にある悲しみや無力感、諦めが捉えられました。

理解されない、聞いてくれないという過去の感覚。

 

ずっとこの感覚は、自分の深くにあったように感じました。

 

 

理解されることを諦めた記憶

本当は自分の怖れや悲しみなどをわかって欲しかったが、そこは受け取ってもらえず、否定されるという経験。

 

おそらくそれは、父親が聞いてくれなかったのではなく、今回のようにトラウマ(心の傷)が反応してしまって、聞けなかったのでしょう。

 

それを当時の自分は分からず、父親が理解してくれない、と受け取って、理解してもらうことを諦め、心を閉じていった、と言うことが見えてきました。

 

そこで思い出したのは、中学生の頃に悩んでいたら、父親に「なんでそんなに不満そうにしているんだ」と言う風に、頭ごなしに否定された記憶でした。

確か埼玉から神戸に戻ってきて、学校にうまく適応できず、悩んでいた頃だったと思います。

また塾に通っていて、睡眠時間を削って勉強していた時期でした。

 

そういう影響もあったのか、思春期の影響か、ストレスが溜まっていて、イライラしたり、人生に怖れを感じたり、していたように思います。

 

それで疲れ果てていたのか、感情に飲み込まれていて、そんな時に父に否定されたんではないかと思います。

 

しかも、弟と比較されたような気がします。

弟は自分と違って社交的で、比較的学校でもうまくやっていたように思います。

 

そこと比較されたことで、余計に否定感が強かったのかもしれません。

 

それまでは、どこかでは、理解されることを期待していたように思います。

しかしその時に、この人に自分の繊細な感覚を理解してもらうのは無理、と諦めたような気がします。

 

そして、自分に蓋をして、父を否定するようになっていったのではないかと思います。

 

そのうちに、お互いを否定するようになり、距離をとっていき、どこか表面的には安定な状態になっていったんだと思います。

 

 

それが、父親的な人物(学校の先生や高圧的な上司など)にも投影され、社会に対しても、同様のパターンになっていったのではないかと思います。

 

 

怒りの下にあった悲しみ、怖れ

そこで、過去を思い出しながら、当時の感情を感じていきました。

 

父親の雑さ(鈍感さ)に、怒りを感じた経験や、理解されなくて悲しかった経験など、似たような経験を振り返っていきました。

 

そして、表面にある怒りを感じ、その裏にある悲しみを感じて、手放していきました。

 

そうすると、さらに裏から、怖れが出てきました。

自分の怖れももちろんあるのですが、その時感じた父親の怖れも混じっているように感じました。

その怖れに反応して、余計に感情に飲み込まれていたのかもしれません。

 

その怖れも、感じて、手放していきました。

 

この怖れは、家族の中で安心していられない、と言った性質のものでした。

どこかで父親の反応を怖れていて、ありのままの自分ではいられず、緊張感の中に生きていたのかもしれません。

 

これらの感情をクリアリングする中で、父親に対する怖れ苦しさ重さと言ったものが徐々に軽減されていきました。

 

 

父親とぶつからず、深く話せるようになった

感情のクリアリングを進めたことにより、父親への否定感が減ったように思います。

 

それにより、父親の内面に意識が向くようになりました。

 

父親は、こちらから見ると、亭主関白で強がっていて、鈍感だったのですが、自己認識は違っていて、自分は繊細だと言っていました。

 

裏側が見えると、確かにそういう繊細な部分も見えて、お互い理解しつつ話せるようになりました。

そうすると、なんとなく似たもの同士のような感覚も出てきました。

 

そして、父親に対する否定の感情が減ったことの影響か、何かと戦う感覚や、社会と戦う感覚も減ったように思います。

 

なんとなく、社会が安全なところのように感じられてきました。

 

 

お互い傷を守って、防御しあっていただけなのかもしれない

祖父も亭主関白で頑固で、厳しい人でした。

父親にとっては、絶対的な存在だったようです。

 

そのため、父親もある種似たような傷を受けて、それに蓋をするために、仮面をつけていったのかもしれません。

 

特に神戸の人の多いところで育ったため、あまり繊細なままでは生きていけなかったのでしょう。

 

その父親の傷や仮面に反応したのか、自分も同じように傷つき、仮面をつけていって、そのうちに、仮面をつけたもの同士で、否定しあうようになっていたものと思われます。

 

(それはもしかしたら、先祖代々受け継がれてきた傷なのかもしれません)

 

 

今回の取り組みにより、仮面の下の自分で話せるようになり、父親との関係が、否定から肯定に変化したように思います。

 

これまでも自己肯定の取り組みはやってきていたのですが、なかなか父親と向き合うところには至っていませんでした。

 

今回、実際に父親との関係で実践できたことで、何か一つ、壁を超えられたように感じています。

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