職場のストレスを緩和したい 

ストレスの理由

職場の人間関係でイライラすることありませんか? 自分の気持ちに注意を向けていると、ストレスは減らすことができます。

私が職場で、写真プリンターの操作していた時の話。

プリンターの操作をするのは、私と同僚のAさんの2人、ほとんどの場合1日1人で担当していました。

当番で変わるシフト制。私と、あまり顔を合わせることはありません。

仕事の朝、部屋の機械周りはいつもより散らかっていました。Aさんが前日に、片づけせずに帰ったのだと思いました。

それを見た私は、仕事に支障が無い様に片付けを始めながら、以前も同じ様なことがあったと思い出し、イライラして怒りが出てきました。

「なぜ私がこんな後始末をしなければいけないのだろう」という怒りです。

人が共有する場所ということを考えていないんじゃないかとか、仕事場は、終わったら片づけるのは常識的なマナーだと、自分の怒りを正当化していました。

その人を心配するゆとりはありませんでした。今思うと、相手に怒れない状態は幸いだったかもしれません。

 

怒りは誰のせい?

職場で人に怒ることは、あることかもしれません。

怒っている時、自分では当然の様に感じます。なかなか相手のことまでは思いはいきません。

逆の立場に立つと、怒りながらの忠告は耳に入りにくいものですね。

しばらくして私は、セミナーに参加する機会に恵まれました。

テーマは「投影」。簡単に説明すると「自分の資質を他人に見ること」、ネガティブな場合「自分の資質を認めたくない時、自分を守るために他人にその一面を押し付けること」。

話を聞きながら、私の学生の頃を思い出しました。私は片付けが苦手で、身の回りをキッチリ片づける方ではありません。

母からよく「片付けしなさい」と言われた時に「乱雑に見えて、何処に何があるのか分かっている」とか「片づける時はちゃんとやる」と言い訳をしていました。

職場で片付けされていない場面に出くわした時に怒りが出たのは、見たくない自分を見せられていたからだと感じました。

会いにくいAさんに、片付けのことを伝えても直らないだろうとも思いました。

もしかすると悩みで一杯だったかもしれません。たまたま、その日に何かあったかもしれません。

気持ちにゆとりが無ければ、細かいことは気がつけませんから。

 

自分の状態を整える

私たちは「感情は扱える」と学んでいます。

相手の想いを変えることはできません。変わりにくいでしょう。出来ることは自分が変わることです。

気にならないは難しくても、平常心で対応できる、思いやりをもって根気強く伝える、それは最善だと思います。

怒りが出しまう時は、理由が分かると対処もできます。

続いて「片付けが苦手なこと」を捉え直すワークをしました。

片付けない相手を見て出た気持ちを書き出す。ある程度書いたところで、その言葉を自分に置き換えるというものです。

例えば、「●●さんはだらしない、人のことなど考えていない」「●●さんはなにも片付けない、酷すぎる」と書きました。とにかく思いついたままに。

●●さんと書いたところを全て「私」に置き換える。「私はだらしない、人のことなど考えていない」「私はなにも片付けられない、酷すぎる」クラクラして胸が痛みました。

自分が気にしていたことでした。

相手次第で、ストレスを募らせるなら、私に主体性が無くなってしまいます。

その後、職場に行った時にあらためて、自分のデスクを眺めました。

私は整理しているつもりでした、机の引き出しを開けると、物が放り込んであるだけの状態でした。ずっと片付けないまま。

私は片付けが苦手なことを、何処かで認めていなかった、怒りの正体は、自分の見たくない部分だと気づきました。

 

理想は落ち着いた対応

人が散らかした場所を見て私は、黙って我慢するか、怒りに任せて相手に怒るか、どちらかになっていました。

結果、後味が悪かったり、ストレスになりました。イライラした私は被害者になっていた。

理想を思えば、私がぶれなくなること。ストレスなく仕事ができることです。

支障があるなら、職場を綺麗にすることを相手に伝えることは必要です。伝えた方がいいけれど、怒る必要は無いと気がつきました。

Aさんに「片付けてほしい」と伝えるとしても、怒りをぶつけながら言うのは、きっと逆効果になるでしょう。

私を怒らせるなと言っているようなものです。思いやりがないですね。

お互いのために、整った環境は大切だねと伝えるのなら、結果、伝わる印象は違うはずです。

 

意識して変われたこと

昔なら、怒るのが私らしいと言ってたかもしれません。

学んだことは、どうなったらいいか?理想を描くこと。そのために、感じることと表現を分けること。

とっさに出来事に意味を付けていました。これは良い事、これは悪いことと。

意識して、パターンから抜け出すことはできます。怒りが出た時、すぐに反応するのは、間違えだと思いました。

自分の課題は捉えにくい場合も、感情に注意していないと気がつけないこともあります。

もう一つ気がついたのは、私は「完璧主義」だったこと。

片付けを始めることが、なかなか出来ませんでした。私は片付けを始めると、終わるまでやりたがることがありました。

片付けは、なかなかやらないのに、やり始めるととことんやる極端になりました。そんな自分だと気がつきました。

完璧にやらなくてはいけない、なかなか掃除も始められません。

急ぎの仕事や用事は常に入ってくることもあって、そちらが優先でした。

完璧じゃないとしても、気がついた時にできる範囲でやればいい、仕事に支障が無い程度に少しずつやることは理にかなっています。

自分には「決めつけ」があったと気がつくことで、気持ちを緩めることはできました。

 

心が楽になれた

片付けが苦手でも生きていけます。

私の場合、完璧な綺麗さを求めなくても問題はありません。苦手でもある程度は大目に見てもいい、支障が無い程度に、短い時間やればいいのです。

そこまで思えた私ですが、今でも掃除好きになった訳ではありません。

私からAさんに「片付けしてほしい」と静かに伝えることはできました、伝える意味はあったと思います。

変われたのは心情です。イライラは収まりました。私があまり片付いていないデスクを見た時でも、自分から掃除しています。

不必要なものは出来るだけ処分する様にしました、物を減らすことを心掛けています。

片付けやすい収納缶など用意しました。場所が決まると、片付けやすく、負担が軽くなります。

限界から片付けるのではなく、気がついた時にすることで時間はさほど掛かりません。

場を整えることが出来るようになりました。以前より柔らかくなれました。

人間関係に煩わしさが出たとしても、その応用で自分を見つめることはできます。

人間関係でブレることはあるかもしれません。その時は、自分を見つめる機会が与えられたと心掛け、チャンスをもらったと思う様にしています。

問題が起きた時、自分に要因はないということはないのでしょう。自分の感情を見つめるのは、自分が主体的なるためです。

 

まとめ

■人にイライラした時、その人と理想の関係をイメージしてみる

■人に怒りを感じた時、自分のことに置き換えてみる。相手に伝える時は、どんな言葉が適切かを思ってみる

■感情的に乱れた時でも、自分を見つめるチャンスにできる。どんな感情が出ても、自分のこととして扱うことはできる。

 

 

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