バーストラウマが気になるママたちへ 

「私にもバーストラウマはある?」

 

「私は、両親に愛されて幸せな家庭で育ったので、バーストラウマはないと思うんです!」

子育ての悩みをお聞きする中で、ママたちの何人かに一人は、そうおしゃる方がいます。

でも大丈夫(笑)、多かれ少なかれあなたにもバーストラウマはあります。

バーストラウマについては、様々な学術的研究がされていますが、感情カウンセリングでもその成果を採用して
「胎児期から生後数か月の間についた心の傷や満たされなかった想い」ととらえています。

 

現代のお産は、多くの場合、医療行為を介するので、赤ちゃんが太古の時代のように全く自然な状態で生まれてくるということはほとんどありません。
また胎児期にも、お母さんの心配事がお腹の中の赤ちゃんに伝わり、心の傷になることもあります。

 

そうした心の傷や満たされなかった想いは、「自分は生まれてきてはいけなかったのではないか」という感情に繋がり、成長してからも何かのきっかけがあると、それが顔を出すようになります。

そして自己否定に繋がり易くもなります。

 

自覚があってもなくても、根っこにそうしたバーストラウマを持っているママ達は、頑張りすぎる傾向にあるようです。

自己肯定をしきれていないので、他者からの承認を求めて、がむしゃらに頑張ってしまうのです。

 

実は私も、両親に大事に育ててもらった自分にバーストラウマなんてないのではないかと思っていたうちの一人です。

そして、父から認められたくて頑張り続けてきました。

 

今回は、そんな私がバーストラウマに向き合ってきたプロセスをお伝えしたいと思います。

 

 

「生い立ち」

私は、父母と11歳年上の兄の四人家族の家庭で育ちました。

母は病がちで、私が小学校を卒業するまでは、よく入退院を繰り返していました。

しかしその分、父が母の代わりに、仕事に加えて家事も子育ても一手に引き受けてくれていました。

 

幼稚園の頃は、父が毎日、まるで母親が作ってくれるような可愛く飾りつけをしたお弁当を作ってくれて、私の髪の毛を結び、送り迎えをしてくれていたことを思い出します。

加えて、同じビルに住む、祖父母も伯父伯母も、ひとまわり近く上の兄も従兄姉たちも、幼い私をとても可愛がってくれて、母の入院中もその寂しさを埋めてもらいながら育ちました。

 

父をはじめ、こんなに多くの人達に大切にしてもらったので、正直、私のバーストラウマは、すっかり癒されているだろうと思っていたほどです。

 

 

「自慢の娘であり続ける」

父は、昭和の日本人男性には珍しく「パパの大事な〇〇ちゃん」とか「パパの宝物」とか、よく口にする人でした。

私も父が大好きで、母のいない寂しさは、父の愛情で埋められてきたと信じていました。

 

自分はありのままで愛されていたはずなのに、私は常に父の望む自慢の娘であらねばとずっと努力を重ねてきました。

 

父はよく「勉強でも運動でも何か一つできるものがあるとよい」と言っていました。

運動は苦手な私は、勉強をがんばりました。

「女の子はおしとやかな方がよい」と言われ、丁寧な言葉遣いを心がけていました。

「女の子は髪が長い方がよい」とも言われ、髪を短くすることもほとんどありませんでした。

父の望む女の子であろうと、努めてきました。

 

感情カウンセラーとして、様々なクライアントさんとお話をする中で、やっと私にもバーストラウマはあると認められるようになりました。

そして自分のバーストラウマが、その後の「自慢の娘」であらねばという私の行動の根本にあるのではないかと思い、バーストラウマに向き合い、取り扱ってみようと決めました。

 

 

「出生直後の感情」

私は、父母からも親戚からも大切にしてもらっていたのに、なぜそれ程までに過剰に父の期待にこたえようとし続けてきたのでしょうか。

言葉でいくら「かわいい」とか「大事」と言われても、バーストラウマのために心の底では「愛されている」という実感が持てずにいたからだと思います。

だから、努力して皆に認められる自慢の存在になって、その実感を強めたいと思っていたのです。

 

まずは自分にもバーストラウマはあると認め、出生直後の感情について振り返ってみることにしました。

 

母は、私を生んですぐに生死の境を彷徨うほどの経験をし、数か月間入院していました。

そこで父は、母が退院するまでの間、私が生まれた産婦人科に私を預かってもらうことにしたそうです。

父はその間、昼間は私の病院へ、夜は母の病院へと毎日通い続けたと聞いています。
仕事をしながら、また小学生の兄の世話もしながらの父の苦労は並大抵のものではなかったと思います。

 

父にそんなにもしてもらったという思いからこれまで封印してきた、当時の私の感情と向き合ってみることにしたのです。

 

真っ暗な部屋の中で泣いている自分のイメージがわいてきました。

でもいくら泣いても誰も来てくれません。

母にも会えませんし、父がいつ迎えに来てくれるかもわかりません。

言葉も話せず、ただただ泣くばかりです。

 

新生児室の他の赤ちゃんたちは、泣くとお母さんがやってきて抱っこして母乳をもらえます。

でも私のところにはいつまで待っても母は来ません。

 

それを見つめていると、自分が捨てられたような感じがして、呼吸も浅くなっていきました。

そこで、しっかり深呼吸をしながら、その時の悲しさ、辛さ、生まれて来なければよかったという絶望感も感じていきました。

何度かそれを繰り返すうちに、次第に重たいものが軽くなっていくような感じがしました。

息も深く吸えるようになってきました。

 

 

「バーストラウマが引き起こすもの」

出生直後に数か月間も母と離れ離れになり、病院に預けられていた私の、まるで捨てられたかのような孤独感、絶望感は、私にとって深い心の傷になっていたのです。

しかし、その後の成長過程の中で、両親も祖父母も親戚達も、その寂しさを埋めるように大切にしてくれたので、みんなに心配をかけないように、私は大丈夫なふりをしてきました。

 

しかし、心の奥底の傷は全く癒えていなかったのです。

そして、その傷があったからこそ、もう二度と捨てられないように、父の望む自慢の娘であろうと必死に努力してきたのだと思います。

父はありのままの私を受け入れてくれていたのに、私は勝手に父の愛情は条件付きのものかもしれないと不安がり、それを確かなものにしようともがいていたのです。

 

 

「生まれてきてよかった」

そうして当時の感情を感じていくうちに、自分に「生まれてきてよかったんだよ」という声をかけられるような気がしてきました。

実際に言葉にしてみると、涙が出てきました。

 

今まで「父もみなも、母のいない分、私を大切にしてくれたから、私は傷ついてなんかいない。私は大丈夫だった。」と、ずっと蓋をして見ないようにしてきた感情を受け止めて感じることで、幼い私が癒された気がしました
心にほんわかと温かいものが流れ込んでくる感じがしました。

 

 

「ありのままの自分」

最近、髪を切りました。

「おしとやかに女の子らしく」ということが、私が父から受け継いだ大きな固定観念のうちの一つでした。

髪もその象徴の一つで、父はよく「女の子は髪が長い方がいい」と言っていました。

私もその言葉に従い、髪を短く切ることはありませんでした。

父の望む娘であろうと過剰に努力をしてきましたが、それももう手放してよいと思えるようになり、自分が好きな長さに髪を切りました。

 

また中2の息子と会話する時は、今どきの若者言葉や、時にはお行儀の悪い言葉も使ったりもしています。

お上品におしとやかにがモットー(笑)だった昔の私からは考えられないことですが、なかなか楽しいものです。

 

父も母も既に他界していて、もう誰も枠をはめる人はいないのですが、今さらながら”脱”女の子らしい自慢の娘、に取り組んでいます。

今の自分が望むこと、好きなことを大切にして、自分ではめてきた枠も外し、どんどん自由になっていく感覚があります。

 

さらに自分の人生を客観的に振り返ってみると、そこには、私は捨てられたわけではなく、母の入院によって仕方なく病院に預けられたという事実がありました。

また父も、私が優等生でなくても、おしとやかでなくても、ありのままの私を認めて受け入れ愛してくれていたという事実も見えてきました。

 

それらを事実として受け入れることで、私自身も今の自分をありのまま受け入れて生きることにフォーカスできるようになってきました。

 

 

「バーストラウマをこえて」

今回は、私がバーストラウマと向き合う過程について、書いてみました。

 

誰しもが多かれ少なかれ持っている「バーストラウマ」に向き合うということは、とらえどころのない、難しいことのように感じるかもしれません。

しかし、両親や周囲から聞いた自分の胎児期や乳児期の状況から、その頃の感情を想像してみることで、見えてくることもあり、自分自身で少しずつ解消していくこともできると思います。

 

周囲から認められなければと頑張りすぎてしまうママたちへ

 

もしかしたらバーストラウマがその一因になっているかもしれません。

その場合は、以前の私のように「私にバーストラウマなんてない」と決めつけるのではなく、まずは「私にもバーストラウマがあるかもしれない…」くらいの軽い気持ちから始めてみてはどうでしょうか。

 

そうしてバーストラウマに向き合うことで、ありのままの自分を認めて、頑張りすぎなくてもいいと思え、もっと自由に生きられるようになると思います。

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