自分の恥ずかしい本音を認めたことでできた一人暮らし 

一人暮らしをしようと思い始めたものの

カウンセラーの仕事をやっていくにあたりセッションルームを持つためにも一人暮らしをしないと厳しいなと思い始めました。相当いい年でしたが、父親が20代後半で亡くなったのもあり母と兄と3人で支えあってやっていこうという雰囲気が家庭内にあったので一抜けしずらかったのです。

自分がいるからこの家族の関係性は保てているという責任感のようなものもあったのかもしれません。経済的にも楽でしたし、住んでいる場所も特に不便がなかったためズルズルと実家暮らしが続いていました。

しようしようと思っても「お金がない。猫と離れたくない」と理由をつけて実行しない日々が続き、とうとう猫も死んでしまいました。それでもなかなか踏ん切りがつかないでいたのです。

 外側に理由を求めてなかなか本音に気づけない状態

いちばんに不安だったのはやはりお金の事でした。収入もよくなかったですし、「なんで土地なんて本来誰のものでもないのに見ず知らずの他人に家賃を払わなければいけないのだ」と本気で思っていました。

その時に受けたいセミナーもあり、「一人暮らしをするよりそのセミナーを受ける方が有意義なのではないか」と思ったりして、無意識に一人暮らしをしない方に軍配が上がるように思考していました。

どうしてできないのかという本音の部分には蓋をして、外側にばかり一人暮らしをしなくて済む理由を探していたのです。「しようと思えばできるけど…あえてしないのだ」と思い自分をごまかし続けている状態でした。

やっと気づけた本当の恐怖

一人暮らしをしないで済むことばかりに意識を向けていても埒が明かないので、家賃を払うということに対する怒りから感じてみることにしました。もっと奥になにかありそうでしたが、出てこないので表面化しているところから手を付けました。

怒りを徐々に感じていって解消していきました。「そもそもなんでその土地をその人が所有したと決まったのだ?汚い手を使って搾取したに違いない」「先に宣言したもの勝ちかよ」とかいろいろむちゃくちゃな怒りを感じました。終いに納得できたのは知人が言った「土地じゃなくて家に払うんだよ家賃は」という一言でした。

そこを突破してさらに奥の本音に気づくために、一人暮らしをするにあたって怖いことを50個書き出してみました。「犯罪に巻き込まれるんじゃないか」「幽霊が出たらどうしよう」とか「自立して自己管理できなかったらどうしよう」という内容だったのですが、それを書いている時にふと感じたのが死への恐怖でした。

ちがう発想で何度も自分が挙げていることに気が付いたのです。なんでこんなに一人暮らしをすることを死と直結していると思うのか。自分でも意外でした。でも本当は意外でもなんでもなかったのかもしれません。なぜなら子供の頃から風邪をひくと咳がとまらなくなり、夜中に呼吸困難になるということが大人になっても頻繁にあったからです。

あまり感じないようにしてはいましたが、その時の恐怖たるや相当なものでした。当たり前ですが、かなり苦しいのです。自分でどうにか息ができるようにするのですが、今度こそだめかもしれないという死を意識せざるを得ない数秒間の緊張が走るのです。

もともとこの呼吸困難が起きる原因は私の出生時にありました。へその緒が巻き付いて生まれてきたことにより56時間の手術を余儀なくされたのです。その後しばらくして母親が私の呼吸が変なことに気が付いたのですが、医者に心配のし過ぎだといって取り合ってもらえず、ある日呼吸困難になり気管切開して管をつけて呼吸をすることで一命を取り止めたのです。

その時の恐怖が体に残っていて風邪をひき咳が止まらなくなると同じことを引き起こしていたのかもしれません。「一人で寝ると死ぬかもしれない」という強烈な恐れが自分の中にあったのですが、呼吸困難が日常茶飯事過ぎてそのことにはまったく気づいていなかったのです。

恥ずかしい本音に気づき認めた

「一人で寝ると死ぬかもしれない」という強烈な恐れに気づいたことにより母親ヘの執着も相当にあることがわかりました。赤ん坊の時に生まれてすぐに長時間の手術をしたことで母親と引き離されていたわけですし、母親から聞かされた話では大人用のベットに寝ていたそうです。

ナースコールを押せるでもなく泣いても叫んでも誰も来てくれなかったという絶望感はなんとなく自分の体に残っていました。気管に管を通して呼吸していた時は、母親が痰をとり、全部メンテナンスをしていたそうなので母親なしでは自分は生きられないと感じていたとしても不思議ではありません。

いい年をして「母親なしでは生きられない、一人で寝ると死ぬかもしれない」と思っている本音に気づいた時は愕然としました。相当恥ずかしかったし、認めたくありませんでした。でも先に書いた通り自分では致し方なかったことです。もとはと言えば赤ん坊の時に痛烈に感じてしまった恐怖心を持ち続けてしまっていただけのことです。

なのでそう感じている自分を許すことにしました。まず、なんとなくその感覚が残っていた泣いても叫んでも誰も来てくれなかった悲しみを感じてみました。それから「恥ずかしい」「いやだ」という自分の無力さへの嫌悪といたたまれない恥ずかしさを感じ続けました。その後に「一人で寝ると死ぬ」という恐怖心もコツコツ感じました。

「一人で寝ると本当に死ぬのか」ということもまじめに考え直してみました。もうこの頃には呼吸困難になることもなくなっていましたし、強盗に襲われてや地震で死んでしまうことはあったとしても、一人で寝ているからといって死ぬわけではないと自分を納得させることができました。こうして一人暮らしへの行動がとれるようになるまでに解消していくことができました。

 責める気持ちが減りやる気が起きた

自分で抑圧していた本音に気が付いたおかげでなぜ一人暮らしをしたくないのかがよくわかりました。なんだか原因がわからないまま「どうもやる気が起きないダメな自分」と思って漠然と責めていたのが、原因がはっきりしたため「ダメな自分」という気持ちが一転して「そういうことだったのか。わかるよ自分」となりました。

だからなのか赤ん坊の時の自分に少し寄り添えた気がしました。そうすると赤ん坊の時の満たされなかった自分の気が済むのか恐怖心もどんどん気にならない程度まで減少して前に進みやすくなって行きました。

 自分の感覚をフル回転させて納得の物件と出会えた

お陰で物件を探して内見に行くという行動が無理なくとれるようになりました。そうするとあとは自分の感覚をフル回転させて住みたい部屋を探すだけでした。内見していく中でまた感情もいろいろ出てはきましたが、見た物件に対してしっかり感情を感じて坦々と進めていくことが出来ました。

背筋がゾゾっとする物件もありましたし、家主さんが異常な心配性で派遣社員である私に対して不安をぶつけてきて嫌な気分になったこともありましたが、行動を止めることなく「ここなら住みたい」と思える物件に出会えることが出来ました。そうしてしたくても全然できなかった一人暮らしを拍子抜けするくらいあっけなく始めることが出来ました。

まとめ

なんでやりたくないのか。できないのかを丁寧に見ていき、恥ずかしい自分の本音に行き当たりながらもしっかりと認めてあげたことにより忘れ去られた恐怖心が浮上してきました。浮上した感情をさかのぼってしっかり感じたことにより行動することを妨げていた恐怖心が和らいで行きました。

家族の中での約束事や役割から抜け出し、本当にやりたいことをやることは、時に全く無理に感じてしまうこともあるかもしれません。大きな壁のように感じて、やりたくてもできなかったことも赤ん坊の時にまで戻り、細かく段階を分けて感情を感じることによりスムーズに進めることが出来ました。

できない自分を責める癖がある私ですが、責めるだけが能じゃないなと実感したのでした。感情をきちんと感じることにより自分への理解が深まり、自分とうまく付き合っていけるようになるのだと思います。

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