嫉妬と向き合う 

はじまり

こんにちは、山田結子です。

先日、メダカの稚魚が生まれて、大きくなってきました。小さいながら、縄張り争いが始まり、他の稚魚を攻撃する個体が出てきました。こんなに小さい時から生存競争って始まるのかと興味深く眺めています。

メダカの世界は厳しいなぁと思いながら、大きなバケツにお引越しさせました。今年は何匹生き残るのか‥生き物の管理は向いてないのかもしれないと疑いを持ちつつ今年もチャレンジです。

さて、今回のテーマは「嫉妬と向き合う」です。

最近、話題に「嫉妬」がでてきました。自分より他の人が大切にされているように感じて、それに対して嫉妬を感じるという話題でした。私はそれを聞いて、以前は私もその気持ちに振り回されていたことを思い出しました。今は感じる場面が少なくはなりましたが、7つの大罪の一つと言われる「嫉妬」について向き合ってみようと思います。

嫉妬体験を見つけ出す

嫉妬は他人と自分が同等の扱いをされていないと感じると、そこに不満を感じる状態のように思います。私の過去を回想してみると、自分がしてもらえないことに不満を持った場面がいくつもありました。特に弟が生まれた頃から不満を持つことが増えたように感じています。

取り組みとして進めるために、最近の出来事から探してみると、良さそうな事例が見つかりました。夫の職場の人たちに、嫉妬を感じる時があります。私は夫と同じ会社で働いていないので、それをしている人たちが羨ましいと感じる時があります。今回はそこから紐解いていこうと思います。

まずは、羨ましいと思った気持ちを振り返り、感情を感じてみます。

すると、仲間はずれになることへの怖れが出てきました。一緒にいられることが羨ましいのではなく、一人になることが怖かったのでしょうか。これは学校時代のインナーチャイルドが疑わしいと感じます。ひとまず、仲間はずれになることへの怖れを扱ってみます。

仲間はずれに関する過去を振り返ると、小学生5~6年、中学生時代は、学校に馴染めませんでした。クラス内にいじめもありましたし、生徒の間で上下関係ができていました。中学から生徒数が増え、クラスメイトも覚えきれない状況になりました。私は人の顔を覚えるのが苦手だったのもあり、決まった友人としか付き合わないようにしていました。

当時のことを振り返ると、できるだけ無関心を装うことで、自分の身を守っていたようでした。感情を意識してみると、内側から怖れが湧き上がってきます。かなり強く感情を抑圧していたのだとわかりました。

怖れに意識を向けると、胸の辺りに冷たい感覚があり、固まってる感じがありました。しばらく怖れに意識を向け続けると、非言語の複雑な思いが生じてきました。子どもの頃の思いは、言語化もされないうちに抑圧されていました。自分を平常心に見せようとして、ほんの少しでも感情が湧くたびに抑圧していたのでしょう。

学校や家庭での否定的な発言を振り返る

私は、学校で過ごすことに失望感を持っていました。学校に行くと、怖れや寂しさを感じることが多く、学校は私の価値観とかけ離れた場所だということを感じてました。学校のルールは私には理解しにくかったし、他の子ども達は私よりずっとうまく立ち回っているように見えました。

学校内で人を罵倒したり、見下すような発言をする相手をできるだけ無視したり、関わらないように過ごしていました。学校内で発言すると、私も罵倒されることがあったので、自由に人前で話す機会はどんどん少なくなり、大人しく、目立たないタイプになっていきました。

その同時期に、家族間でも相手を否定するような言動が増えて、私は話をするのが怖くなっていきました。相手が否定しそうなことを言わなくなり、家族との関係も深まらなくなりました。当時は父が言うことは絶対という風潮が家庭内にあって、逆らわないように過ごしていました。

そんな過去を振り返りつ、その時の否定される感覚を感じていくと、苦しいという思いがとらえられました。苦しみを意識すると、そのエネルギーはかなり強く、圧迫されるような感覚で、ドロドロとした愛憎のようなものが感じられます。当時は苦しすぎて感じることができず、何も感じないようにしていたのでしょう。

苦しみに意識を向け続けると、その奥には強い怖れも隠れていました。怖れは胸を圧迫するような塊のようになっていました。しばらく意識を向け続けると、エネルギーが抜け始めました。エネルギーが胸の周囲に広がり、解放されていく感覚が生じました。

そのエネルギーを感じてみると、怖れ、苦しみ、憎しみのような思いが感じ取れてきました。

嫉妬を感じて理解する

怖れ、苦しみ、憎しみを積極的に感じていくと、今度は怒りと嫉妬が生じてきました。ようやく、「嫉妬」が出てきました。

ここをしっかり感じていきたいと思います。

嫉妬に意識を向けると、劣等感と関連が深いと感じました。一方的に劣った人間だと決めつけられたような気持ちが出てきました。

しばらく意識を向けていると、自分は劣った人間ではないかという気持ちが表面化してきました。この気持ちは深く、弟が誕生した時にも感じていました。もし、自分が劣った人間だとしたら、将来お金を稼ぐことができなかったり、進学できなかったり、親に頭が悪いと思われると感じていました。親から見下されないように、劣った人間と決めつけられてはいけないと思っていました。家庭内での立場を失うようにも感じていました。私は、愚痴や泣き言も言えない状況に追い込まれていました。

 

 

今から思うと、愚痴や泣き言くらい言っても良かった気がします。学校、家庭、友人関係の全ての環境で感情を抑圧し続けるのは無理があります。本音を言える場所を作れなかったことで、私は人間関係と勉強のストレスを抱え込んでいました。

当時の私を取り巻く状況に理解が進むと、甘えるような気持ちが湧いてきました。その気持ちをしっかり受け止めてみます。すると、甘えの裏にも、怖れもあるように感じました。甘えの気持ちを出すと、人に受け入れられないと思っていたようです。思い返すと、父に甘えることを拒絶されたこともあります。

甘えられないことに意識を向けると、恐怖と深い悲しみを感じました。自分の気持ちが理解されない悲しみや受け入れられない悲しみでしょうか。観察すると、怒りや憎しみ、絶望感のようなもの、苦しみなども感じられます。感情的にかなり混乱した状態だったのでしょう。

そこに意識を向けて感じると、少しずつ体が軽くなってきました。混乱した感情がほぐれていくと、私は学校内で他の同級生のように話を聞いたり、相互理解したり、主張を受け入れるという相手がいないと感じていたようでした。これが、「嫉妬」という心の動きの原因になっていたようです。自分が十分にしてもらえないことを、他の人はしてもらえているというところに起因する心の動きだと理解できました。

その思いを感じていくと、私は親から愛情を与えられていないという気持ちが湧いてきました。親は子育てに失敗したと思いたくなくて、私を普通という型にはめようとしていたように思います。そのために、私という人格や個性が無視されているように感じていました。その結果、親はやるべきことはしたと思い込み、私は自分が愛されていないと思い込むようになりました。

私は昭和世代で、子どもの頃はパソコンやインターネットもなく、現代のような育児の多様な情報はなかったので、やむを得なかったとも思います。しかし、家庭内での親子の対話はいつも一方通行で、ほとんど相互的な交流はありませんでした。親は自分のことで精一杯で、私を理解したり話し合うような気持ちを持てなかったのだろうと思います。

まとめ

ここまで理解が深まったところで、夫の職場の人たちへの「嫉妬」を再び意識してみます。すると、それほど強くない怖れが出てきました。混乱した感情や思いを処理したので、感情だけが出てくるようになったようです。少し感じてみると、すぐに和らいできました。

体の状態をみると、胸のあたりの圧迫感が少なくなり、呼吸しやすくなりました。上半身の強ばった感覚が少なくなり、肩が開くような感覚がありました。姿勢が前のめりになりやすかったのは、この感情が原因だったのでしょう。体のスッキリ感と安定感を得て、向き合ってみて良かったと思いました。

いかがでしたでしょうか。嫉妬という気持ちが、たくさんのインナーチャイルドの蓄積から起こっていることが見えたでしょうか。私の内面的な動きから解釈すると、劣等感がなければ、嫉妬は出てこないと実感しました。取り組む際は、劣等感を感じる部分を優先的に取り組むことで、解決が早くなると思います。

皆様の日々の取り組みの参考になれば幸いです。

自己探求&感情カウンセラー 山田結子

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