気分はコントロールできる。自分の取扱説明書の作り方 

朝起きて感じる漠然とした不安

ある休日の朝のことです。8時に目が覚めました。その日は午後から用事がある日でした。それは前から楽しみにしていた用事でした。でも朝目覚めた私は、漠然とした不安を感じていました。何もやる気がしなくて、気分が落ち込んでいました。

理由はよくわかりませんでした。お天気がいいと気分も良くなることが多いですが、その時はお天気も私の気分を助けてはくれませんでした。

前の日に部屋を片付けてから寝たこともあって、部屋もすっきりしていました。こういう日は気持ちよく1日を始められる日も多いものですが、なぜか不安でいっぱいでした。

重くてなんにもしたくない

なんだか重くて何もしたくありませんでした。「仕事行きたくないなぁ」と体を引きずる時のあの感覚です。大げさですが自分の人生に期待が持てない気分でした。

それまでもたまにこういう日があったので「またかぁ」と思いました。せっかく午前中は空いているのに憂鬱な気分でした。「やりたいことが全く思いつかない」「動きたいのに動けない」と思いました。残念でした。でも、自分ではどうにもできないのでしばらく憂鬱とともに横になっていました。

ただ、時間だけが過ぎていく

こういう気分の時は面白くもないSNSを見てダラダラ時間だけが過ぎて行ったり、時間のギリギリまで横になっていたりすることが多いものでした。

それが嫌で、こういう気分になると「これをしたら気分が良くなるんじゃないか」と思いつくことをやってみることもありました。例えば外に出て散歩をしたり、カフェに行ったり、「前にこんなことしたら楽しかったなぁ」と思い出されることをやってみていました。

でも、大概は嫌な気分は消えることはありませんでした。そういう気分の時は目の前のことに集中できないので体だけが疲れてしまうこともありました。また、一向に良くならないので逆に落ち込んでしまうこともよくありました。

最近は「こういう時もあるし、仕方ないか」とは思うのですが、やっぱり嫌な気分になるのは避けたいものです。ただ避けようにも急に襲ってくるという感じなので対策もしようもないと感じていました。「自分の取扱説明書があるなら欲しい」と思っていました。

心が軽くなる、感情のクリアリング

ふと、感情のクリアリングをしてみようと思いつきました。

「不安で嫌な気分なのだから、不安という感情をクリアリングしたら軽くなるかもしれない」と思ったのです。今まで色々やってきて、「これでダメなら、もう不安や憂鬱が襲ってくるのは諦めるしかないな」という気分でした。

まず、クリアリングするために自分の中にある感情に目を向けました。そうしたら急に悲しくなってきました。「やろうと思ったのにできなかった」「できなかったらどうなるんだろう」という気持ちが溢れました。

そういえば、少しづつ進めようと思ったことがなかなか思うように進んでいなかったことに気がつきました。10日ほど前から毎日少しづつ進めようと思っていたことがあったのですが、後回しになっていたのです。夜寝る前に「やってから寝ようかな」と思うのですが、寝てしまうことも多かったです。

しばらくその悲しみを感じていると「やろうと思ったことをできなかったことで悲しくなったり、不安になったりしてたんだなぁ」と気がつきました。自分との約束を守れなかった罪悪感や自分を責める気持ちもありました。

次に見つけた自分の感情と適切な距離をとりました。距離をとってすぐに体が軽くなっているのがわかりました。急に軽くなったので「感情に飲まれていたのかも」と思いました。

その時の感情は白く発光する霧のようでした。なんでか長細い形をしていました。その中には怖れや不安が多いように感じました。怖れをクリアリングすることに決めて、クリアリングを進めていると数分でスッと消えていく感覚がありました。

そのあとは、心に風が吹いたように気持ちが軽くなって、意識が自然と外に向きました。明るい気持ちが湧いてきて、カーテンを開けて外の光を入れたくなりました。

憂鬱は蓄積したネガティブな感情だった

実は、私がクリアリングした重たさは定期的に感じていたものでした。いつも感じているわけではないのですが時折湧いてくる重さでした。

その度に「これはなんだろう?」と不思議に思っていました。なんにも原因がないのに「なんか憂鬱。」「気分が重い」「そわそわして不安」と感じていました。

感情に意識を向けてみて、この重たさの原因は、自分との約束守らない時に起きるのかもしれないと思いました。「今日も決めたことができなかった」「もっとこうしたかった」と自分を責める気持ちが少しづつ溜まっているのかもしれません。

日々のちいさな蓄積に気がつかなくて、それがある一定の量まで蓄積すると感知できるようになるイメージです。自覚できる頃には憂鬱や不安が取り扱えないほど溜まっていて動けなくなってしまうのではないかと感じました。

思い返すと、この日の前日もちょっと憂鬱な気分になっていて、その微かな感覚の変化が気になりつつ眠りについたのでした。少しづつ溜まった感情は大きな波になるのだと感じました。

気分は自分で変えられる

感情のクリアリングをすることで体がとても軽くなりました。何もやりたいことがなくて、「出かける時間までなにしよう」と戸惑っていたのですが「晴れてるから外に出るのもいいな」と前向きな気持ちになれたり、お茶を入れてゆっくりしたくなったりしました。

そして、何よりも自分の意思で憂鬱な気分を脱することができて安心しました。以前は憂鬱な気分になると「またかぁ」とお手上げでした。「自分にはどうしようもない」とか「諦めるしかない」とか思っていて、気分はコントロールできないのが当たり前でした。

だから憂鬱な気分になると、いつ回復できるかもわからず待つしかありませんでした。待っている間は気分も暗いし、理由もよくわからないし、何もやりたくないしで手を焼いていました。

今回、気分は自分で変えることができる、コントロールできると実感しました。そして、それは我慢することとは違うのだということもわかりました。

自分の取扱説明書を手に入れる

気分は自分でコントロールできるとわかったことで、いい気分でいるために行動をマネージメントしようという意識が生まれました。以前からそうできたらいいなとは思っていたものの、自分のパターンがよくわからなかったので「どうしようもない」という感覚が大部分でした。

憂鬱な気分はその時は取り扱うほどでもないと感じる小さな感情の積み重ねなんだと実感できたことは大きな収穫でした。そのことで、ちょっと疲れた時は早めに自分をケアするようになりました。

また、やろうと思ったことをできないことが今回の憂鬱の要因になっていたので、そもそもできないことやろうとしていないか、キャパシティを超えていないかを確認するようになりました。

無理をしないように自分に配慮したりするようになったのです。自分のパターンへの理解が深まり、対応できるようになることで自分の取扱説明書を手に入れました。

自分らしく能力を発揮する

気分は自分では決められないと思われがちですが、気分を作り出している感情を取り扱うことができれば、コントロールすることができます。急に襲ってくる不安や憂鬱、イライラも自分で取り扱うことができるのなら、随分生きやすくなるのではないでしょうか。

また、感情を見つめることは自分を知ることでもあり、それによって自分だけの取扱説明書を手に入れることなのだと思います。それがあれば、自分に合ったやり方や環境を自分に用意することもできます。これは能力発揮のベースにもなりそうです。

感情を扱うスキルは自分らしく才能を発揮して生きるには欠かせないスキルかもしれません。

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