受験生のママたちへ~中学受験編~ 

コロナ禍での不安の増幅

来年の受験はどうなるんだろう。

今年の夏休みは、学校に加えて塾の夏期講習もある。うちの子は今の調子で、乗り切れるのだろうか。

9月入学案は一旦見送りになったけど、冬にまたコロナの第二波が来たら、入試はどうなるのかしら。

しまいには「うちの子はもう中学生になったけど、今年の受験生は大変よね」と先輩ママから、ご丁寧に心配の声を頂く始末。

 

世間は不安のオンパレード。

そんな世の時流を受けて、受験生のお子さんを持つママ達からは、不安な気持ちでついイライラして子供に当たってしまうという相談が増えてきました。

 

 

不安の波

ある日の夕方、私もどうしようもなく不安になりました。

 

「なーんだ、感情カウンセラーをやっているのに不安になるのね。」という声が聞こえてきますが、その通りです!

私も不安に押しつぶされそうになることもあります。

 

ただ私は感情の取り扱い方法を学んだお陰で、不安が出てきても以前のように見て見ぬふりをせず、それを感じて解消する術を知っているというだけです。

 

では、私が飲み込まれそうになった不安とは、どういうものだったのでしょうか。

 

来年、受験を迎える小6の息子の成績がこのまま上がらなかったらどうしよう。

どこかの中学に入学できたとしても、また大学受験の時に私はこんな風に不安になり、ヤキモキしないといけないのだろうか。

中高生になれば親の言うことも聞かなくなるだろうし、勉強も難しくなるから、今のように見てあげることもできない。息子は自律的に勉強できるように成長してくのだろうか。

私はいつまでこうして息子の心配をしないといけないのだろうか。
私が息子を信頼して手放し、本人の力に任せられるようになる日がいつか来るのだろうか。

感情カウンセラーをやっているのに、私はいつまでたっても、なんでこんなに成長がないのだろうか。

 

直近の不安から始まり、将来への不安、そして自己否定感まで加わって、負のスパイラルに巻き込まれて押しつぶされそうになりました。

仕事も家事をする気が失せて体も重たく、感情を取り扱う気も起きず、息子を塾に送りだした後、もう寝てしまえと昼寝をしてしまった程でした。

 

 

不安にかきたてるもの

私は、いつもどんな時に不安になるのか、そのパターンを考えてみました。

 

コロナの感染拡大を受けて息子の小学校は7月中旬まで隔日登校が延長され、学校の授業や課題など、今まで以上に家庭でサポートしなければいけないことが増えました。

 

特に小学校がお休みの平日の朝は、仕事もあるのに今日も息子の学校や塾の勉強を見なければならないのかという不安がもやもやと胸のあたりにわいてくるのを感じます。

今日も勉強が思うように進まないからとイライラしてしまい、結果、ダメな母親だと自分を責めてしまうんだろうな。

 

模試の結果がかんばしくなかった時にも、受験まであと半年なのに、このままで大丈夫なのだろうか、と不安になります。

さらには上手にお子さんのサポートをしているママ友の話を聞いては、自分はそこまでできていないと思い知らされて落ち込むこともあります。

 

こうして考えてみると、いつも“他人軸”で作った母親像に照らして、自分の足りない部分をジャッジして、不安を呼び起こしてきたのです。

 

在宅勤務をしていても、仕事量は以前と変わらず、その合間に家事もし、さらに学校と塾の先生の真似事までする、普通で考えたらオーバーワークに決まっています。

でも不安の波が押し寄せてきた時は、なんでもできる母親像という幻想にとらわれて、無理なことを手放すことも難しくなっていました。

 

 

感情の

その日、数時間休むとだいぶ落ち着き、自分の感情に向き合おうという気力がわいてきました。

 

初めに出てきた感情は、息子が希望している学校に入学できないのではないかという不安です。

しばらくその不安を感じていると、次には、私自身が中学受験に失敗した経験から、息子も同様の結果になるのではないかという心配が出てきました。

私は過去に感じきっていなかった自分自身の不安を息子の将来への不安にすり替えていることに気づき、その不安を感じ尽くそうとします。

 

そして、ここまでが今までのパターンでした。

 

さらに深く感じていくと、こんなことに思い至りました。

 

私は、中学受験には失敗したけど、その後、がんばって希望の高校、大学に行き、さらにやりたい仕事に就けた。

だから私の人生は成功だったんだ、というロジックでこれまで生きてきたということです。

 

中学以降の努力があったから私の人生はAll OK、以上。

つまり「中学受験に失敗した」という事実は見ないでなかったことにしてきたことに気づいたのです。

 

だから何度もこの不安に足をすくわれてきたんだと思い至りました。

 

そこで、中学受験に失敗した時の感情を一つ一つ思い出してみることにしました。

第一志望に落ちたことを知らされた日の夜のこと、父と共に第二志望の学校の体育館に合格発表を見に行った時のこと、翌朝、小学校に行くと一番の親友も不合格だったと知り二人で一緒に公立の中学校に行けると安堵した時のことなど。

 

過去のシーンをリアルに思い出しながら、それぞれにまつわる感情を感じていきました。

 

感情の海は深く、一つの感情を感じると次の深い感情が出てきて、それを順番に感じていくという手順を繰り返しました。

 

 

ホントの不安

自分の不安を取り扱う時、初めは、息子が希望する学校に行けないのではないかという親としての不安を感じているものだと思っていました。

しかしその奥には、自分が中学受験に失敗した後の、今度は高校受験にも大学受験にも失敗したくないという不安が潜んでいたのです。

 

さらにその不安を扱っていたつもりでも解消しきれなかったのは、中学受験の失敗自体を受け入れていない自分がいたからです。

自分の人生のある事象を無かったことにしてきた、つまり自分の一部をずっと否定し続けてきたのです。

 

そして息子に対しては、「あなたの将来を思って」という母親らしい綺麗な言葉をつかって諭してきたのです。
しかし、ただ自分の感じきれていない不安をぶつけているだけなので、その言葉は、息子に届くはずもありません。

 

 

自分の不安に向き合う

自分の中の不安を丁寧に感じるようになると、息子に対する不安が湧いてきても、それをだいぶ客観視できるようになりました。

息子に対しての不安と思いきや、これは私が過去の不安を十分に感じきれていなくて、それが出てきているのだな、と気づきます。

そして、一つを解消しても、まだ不安が出てくるのであれば、またそれを感じていくことにしました。

玉ねぎの皮をむくような終わりのない作業のように見えますが、それを続けていくのです。

 

感情に向き合うことは、自分でも気づいていない自分自身を深く深く知って向き合っていく作業だなとつくづく思います。

 

 

「わたし」を主語にする

息子と話す時、以前は「あなたは〇〇だから、このままではこうなってしまいそうで心配。」というような伝え方しかできませんでした。

しかし、今は「お母さんは自分の小学校時代の〇〇のことを思い出して、今、不安になっちゃった。」と正直に言えるようになりました。

 

コーチングでもよく言われる“I”メッセージで、等身大のありのままの自分で息子に接することができるようになりました。

 

今までこれができなかったのは、「母親は自分の感情に振り回されることのない、子供にとって人生のお手本になるような存在でなければならない」という固定観念と、私はそうあらねばという優等生志向が邪魔していたからです。

それが最近は「息子が11歳なら、私もお母さん11歳だから、うまくいかないことも失敗することもある。失敗しながら成長していくんだ。そんな生身の自分自身の息子にそのまま見せてもいい。」と思えるようになったのです。

 

すると、私が見栄をはらずに弱みも含めて自分のありのままで語る時ほど、息子は「へぇー、そうなんだ。」と受け入れてくれます。

子供は未熟な不完全な存在であり、年を重ねた親は失敗はなく立派な存在であるべき、という固定観念を外して、一対一の人間としての対等な会話が成立するようになってきました。

 

 

自分軸で生きる

息子との関係性の中で、私が学んでいることは、世間がこう考えるであろうという“他人軸”ではなく、自分はどうありたいかという“自分軸”で生きること、そしてそのために徹底的に自分と向き合うことです。

 

最近、ワーキングマザーのクライアントさんが2人、感情トレーニングをうけてくれることになりました。

自分の感情を取り扱えるようになって、これから成長していくお子さんとの関係をよりよくしたい、さらには旦那様との関係ももっと改善して、家族みんなが笑顔でいられる家庭を作りたいというのが彼女たちの望みです。

 

感情の取り扱いは、とても地味なワークのように感じられますが、効果は絶大です。

私も自分の感情の取り扱い方法を学び、実践できるようになったお陰で今の家族関係があります。

 

先行きの見えないこの時代ですが、自分の感情に向き合って、もっと肩の力を抜いてみませんか。

私も全力でサポートします!

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