不安で何も手につかなくなった「飛行機が欠航!?」 

大雪の予報が出た!飛行機は飛ぶのか?

関西から東北へセミナー旅行に出かける前日のことです。

 

空路で行こうと数カ月前から航空券を手配していました。
旅行は厳寒期なので雪による欠航の可能性はなくもないのですが、その時は「行く」気持ちしかなく、欠航なんて考えてもいませんでした。

 

予約するということは「行く」が前提です。
普通は欠航の確率より飛ぶ確率の方が高いし、旅行がキャンセルとなる前提で計画することはないでしょう。

 

出発の数日前の天気予報では雪が近づいていました。
関西からだと目的地には羽田空港で乗り継ぐ必要があります。

 

その羽田空港の発着がどうなるかわからなくなったのです。

 

現地集合なのと、現地までは基本的に単独行動なので自分の都合でフレキシブルに動ける状況です。
予定を変更して前日に移動をしておくか、経路を変えるのか、ギリギリまで様子を見るか、欠航の時どう動くかを考えてみました。

 

天気や交通の情報はテレビで盛んに報道しています。
航空会社からも運行情報のメールがきて、旅程の早い目の変更を推奨しています。

 

そんな時に、明日がわからない不安が出たり入ったりして、自分が取るべき行動が決まらず頭の中で右往左往している状態になりました。
決めきれずに疲労感だけが増していきました。

 

これは一体、どういうことでしょうか。

 

冷静な自分と不安にさいなまれる自分が交互に出てくる

航空会社からの業務メールは安心感があった

2日前の航空会社からのメールには次のようにありました。

降雪による運航への影響について

いつも○○をご利用いただき、ありがとうございます。
降雪による運航への影響についてお知らせいたします。
○月○日明け方より関東地方では降雪が予想されています。
以下の空港は、降雪の状況により運航への影響が発生する可能性があります。

東京成田・東京羽田

ご利用のお客様はお出かけ前に、最新の運航状況を「発着案内」にてご確認ください。

この時点では、もし飛ばなかったらどうしようという不安はそれほどでもありませんでした。

 

航空会社はこのような例をたくさん経験しているので、いつもの事なのだと思います。
航空券の振替や払い戻しの案内も適切にされていて、手順通りに手続きすれば何も問題はありません。

 

その、いつものこと、普通の業務という安定して動じない非言語コミュニケーションがあったのだと思います。

 

なので、情報が適切なので私の受け取り方もちょっと注意しておこうくらいでした。
不安よりも冷静に物事を見られて安心感もありました。

 

不安をあおるテレビの報道

テレビでは、報道キャスターが「交通機関の大変な乱れになりそうですね」「昨年の雪では麻痺しましたね」「都心も積雪10センチを超えるかもしれませんよ」という言葉を連発していました。

 

聞いていると不安が湧いてきました。
ジワジワと不安が私の体いっぱいに広がっていくみたいでした。

 

こうなると、うーん、何か行動を起こさないという焦りが出てきて、心がざわつき、考えていた代替案がどれも不正解のように思えて決められなくなりました。
これでいこうと決めたはずが、いやいや、こっちのほうが良いかもしれないという具合に揺らぐのです。

 

報道キャスターが「雪国育ちから言えば、明日は降りますよ」なんて言うものだから、明日は飛行機は飛ぶと思えていたのに雪国の経験者が言うのだから…と、今決めたことより他の方が良く思えてくるのです。
じゃあ、前日入りしようと決めると、いやいや明日は大丈夫だよと思う自分が出てきます。

ザワザワとした不安感でため息が出てくるのです。

 

決めても決めきれないもどかしさと疲労感にうんざりしながらも、「どうしよう?」にしか意識が向かなくて仕事も手につかなくなくなりました。

 

自分のものじゃない感情の影響?

普段の私は物事を決める時は、いろいろ調べて情報を集め、自分にとって納得感のあるものを選びます。
今回は、自分の感覚では飛行機は飛んで欠航などしないと思えるのですが、なぜか不安が出てくる状況でした。

 

このようなことは日常でもありそうです。
それも案外多いのではないかと思います。
つまり、他の人の感情に影響されるという状況です。

 

お葬式の時がわかりやすいかもしれません。
亡くなった方をそれほど知らず、またそれほど親しくもないけれどお葬式に参列した時。
ご遺族や参列者の悲しみの様子を見ているうちに自分はそれほど悲しいわけでもないのに悲しい気持ちになったことはありませんか。

 

自分にしては感情が過剰に出てくる時は、誰か他の人の感情の影響を受けているかもしれません。
誰かの感情に巻き込まれている最中は、自分が何か他のものの影響を受けているのに気づくのが難しいものです。

 

ですが、気づくことができれば脱出しやすくなります。

 

今回は、都心に大雪が警戒される状況で多くの人に不安という感情が出てきていたのでしょう。
私はテレビを通してその影響を受けていたと考えられました。

 

一旦その場を離れて、状況を認識、感情を感じる

不安にとらわれて「どうしよう?」が頭の中でぐるぐる回り何もかも手につかない状況から「一旦その場を立ち去る」ことをしました。
テレビを消して、天気予報や交通情報を集めるのをやめてみたのです。

 

次に、「ああ、今、私は不安なんだ。これっていろんな人の影響を受けているかもしれない。」と自分の状況を認識しました。
そして、体の中に広がった不安をじっと感じてみました。

 

不安は体の中でモヤモヤとした雲のような感じられました。
雲のような捉えどころのない不安をただじっと観察するように感じます。

じっと感じるのは簡単そうで、ちょっと根気がいります。
が、感じていると軽くなってきたようでした。
すっとキレイになった感じがして、「どうしよう?」から「行けるんじゃないかな?」と気持ちに余裕が出てきました。

 

氷が溶けるようなホッとした感

湧いて出てくる不安を扱ってみると、少しずつ本来の自分らしさが戻ってきたようです。

 

不安の渦にもみくちゃにされて身動きできず、固まっていた身体が軽くなって動ける感じです。
心なしか呼吸も楽で、氷が溶けるようなホッとした感じがあります。

 

「自分は自分」で、テレビの向こうにある不安と自分の間に線を引けたように感じました。

 

いつもの思考と行動を取り戻した

不安に巻き込まれている時は、何かにすがるように情報を得ようとしていました。
1時間ごとの天気予報を気になる度に頻繁に見てみたり、目的地のライブカメラをネット検索して雪の積もり具合を見たり、航空会社のホームページを何度も閲覧したり。
とにかく、どこかに安心を求めていました。

 

これは集合意識の影響もあると認識し、不安を感じることで、いつもの自分が戻ってくると、思考もはたらき出し、セミナー旅行の主催者に連絡を取るという発想が出てきました。
不安に巻き込まれている時には出てこなかった発想です。

 

今さらですが。。。
パソコンやテレビの前から離れられないのを思い返すと阿呆らしくなります。。。

 

飛行機は飛ぶと思うが万が一の時は集合場所に向かわず、宿に直接向かうと伝えました。
主催者の読みは私と同じで、欠航しないだろうというものでした。

 

そこから気持ちも一気に「行く」に固まり、安心を得ようとして情報を血眼になって探すことは止みました。
上へ下への大騒ぎをひとりでしていたのが阿呆らしく笑えるくらいになりました。

 

人は集合意識の影響を受けるもの

集合意識。
自分が属している集団の意識をいいます。
その集団に共通の考え方や思い込み、ノリの良さ、集団のカラーといったものが当てはまりす。

 

「日本人ってどんな人?」って聞かれたら多くの人は「真面目で、勤勉で」と答えるのではないでしょうか。
日本人一人ひとりが持っている意識はそれぞれで、真面目な人も真面目でない人もいるのだけど、集まると「日本人は真面目」という共通の意識ができあがります。

 

私は日本人です。
なので、日本人という集団の中に私はいて「真面目で、勤勉で」という意識の影響を受けて、無意識に「真面目にしなきゃ、勤勉でなきゃ」という言動を取りがちになります。

 

人は集合意識の影響を色濃く受けます。
しかも無意識に。

 

自分がどのような集団意識に属しているかによって感情の安定性も変わってきます。
今回は、テレビの報道側の人間や視聴者の不安がテレビを見ている私に影響してきたわけです。

 

まとめ

不安は誰にでも大なり小なりあるものです。
あるのが当たり前な感情です。

 

今回は大雪になって欠航する不安がテレビ報道を通して自分の不安とリンクし、増大して、不安に翻弄される状態となりました。
自分が自分のものでない不安に巻き込まれていると気づき、一旦その場を離れ不安を感じてみることでいつもの自分を取り戻せました。

 

誰かの感情が自分の感情と混じってしまうことは案外よくあります。
そんな時こそ、感情のクリアリングすることで心の平安を取り戻すことができます。

 

その後、飛行機はどうなったかは想像にお任せします。
知りたい方はお会いした時に質問してみてくださいね。
ではまた。

 

上に戻る