つい勘違いしてしまう「相手の気持ちを考える」こと 

想定外の出来事に焦ってしまうことはありませんか?

私は普段は消化器内科医としてクリニックで働いています。週に2回、胃カメラという内視鏡を使った検査をしています。5mmほどの太さの内視鏡を鼻から入れて、食道や胃、十二指腸の内部を観察し病気がないかチェックするものです。

検査を受ける患者さんには様々な方がいます。以前の検査の経験から苦手意識のある方もいます。検査を受けることが初めてでとても緊張をされている方もいます。その緊張の度合いも様々です。顔がこわばっていて、こちらの話があまり耳に入っていない様子の方もいます。「やだ〜、怖い。怖い。」と言いながらも嬉しそうな方もいます。なんともないような顔の方もいます。「初めての検査ってどんなものだろう。」と楽しみにしている方もいます。

そして検査中の反応も人によって違います。
ぎゅっと目を瞑り体をこわばらせている方、ぼーっとしている方、検査中「先生コレは何?アレは?」と話し続ける方、「うわー、こんな感じなんだ。」と喜ばれる方。

私は検査中の患者さんの様子を見ながら、必要があれば声をかけています。この検査自体もう10年以上経験しているので大抵どんな方でも冷静に対応できていると思い込んでいました。

 

ある時、耳の聴こえない患者さんが検査を受けにやってきました。にこにこと柔らかな笑顔の女性でした。彼女が内視鏡の検査を受けることはこの時が初めてでした。

私は手話ができないので、筆談をし、絵を描きながら、身振り手振りで検査の説明をします。彼女はそういったことに慣れているのか、私の口元の動きと書かれた紙をみながら「うん、うん。」と笑顔で頷いていました。
こちらからみると特別緊張した様子もありませんでした。

さて検査が始まります。私はカメラを握りました。すると彼女は目を瞑りました。その様子を見て私は焦ってしまいました。目を瞑ったからといって検査ができないわけではありません。検査中に目を瞑る方はたくさんいます。しかし、彼女の場合は耳が聴こえません。ですから、こちらから伝えたいことが声で伝えられないことに加え、目を瞑ることで視覚的にも私が伝えたいことが伝えられないのではと思ったのでした。言語でのコミュニケーションが取れないのです。これではいつものように患者さんに話しかけて安心させることができません。

また、初めての胃カメラの検査でパニックになる患者さんはいます。私にとっては時々遭遇することなので、これまでは特に動揺せず対応ができました。そういた場合、私はその方に呼吸の仕方や目線の場所を伝えたり、今どういうことを行っているか伝えます。そのようにすることで最初は不安になっていた患者さんが落ち着いて検査を受けられるようになっていたのでした。

しかし今回の彼女の場合、通常よりも感覚としてわからないことが多く、それが原因で動揺するのではないかと私自身が心配になりました。目を開けてもらうように肩を叩いて起こしたほうがいいだろうか、どうしよう、、、。気がつくと私はいつもよりもカメラを握る手に力が入っていました。

自分が不安を自覚した結果

握っていたカメラの感覚に、ふと自分が焦っていることに気がつきました。

よくよく考えてみると、感情というものは非言語で伝わるものなのです。感情は目に見えない領域にエネルギーとしてあります。自分の中の感情が揺れ動くと、そのエネルギーが相手を刺激し、相手の感情と共鳴することがあります。つまり私が不安を抱えれば、相手も不安を抱きやすくなるといった性質があるのです。私の不安が伝播してしまってはよい検査ができません。反対に自分が落ち着いていれば相手も安心しやすくなることを思い出しました。私は体の力を抜きいつも通りに検査をしました。

もともと彼女自身も感情が安定していたのだと思います。検査中彼女は特にパニックになることもなく、落ち着いて受けられていました。検査を終え、ぼーっとしている彼女に私が口頭で「大丈夫でしたよ。」と声をかけるとパッと笑顔に両手で小さく拍手していました。その後紙に書きながら結果を説明し終わると何度もありがとうと口元の動きと手話で伝えていました。

自分にはない感覚を想像することで相手を見誤っていた

目からの情報と耳からの情報が入らないというのはどういった感じなのでしょうか?多くの人は両方の情報に頼って生きています。ですから視覚と聴覚の両方の感覚を遮られてしまった場合、不安や恐怖になるのではと感じるのかもしれません。

しかし彼女にとっては余計な心配だったようです。長年の経験によるものでしょう。他の感覚に長けていることもあるかもしれません。視覚障害、聴覚障害など何かしらが原因である感覚が捉えにくい方はいます。だからといって必ずしも他の人と同じようにできないということはありません。そのために感情が揺さぶられやすくなることはないようです。私の中の想像が不安を作り出してしまっていたようです。

多くの方が言語でのコミュニケーションが主体であるように感じているのではないでしょうか?
しかし、本来は非言語コミュニケーションというものがあり、お互いに強く影響してあっています。声を発していなくても相手が怒っている雰囲気を察知したり、悲しんでいる様子をみてそっとしておこうと思ったりした経験はないでしょうか?こちらが不安な状態であれば、その不安によって自身の体の筋肉を硬直させ、細やかな動作に影響を及ぼすこともあります。こうなってしまったらどうしようと思うほど、焦りが出てちょっとしたミスにもつながりやすいかもしれません。

 

どうして不安になってしまったのか?

今回出会った患者さんは私にとってあらかじめ予測のつかない相手でした。ですから、事前に想像を膨らませてしまいやすかったように感じます。

「相手を不安にさせてしまったらどうしよう。」振り返ると、私の中にそのような思いがあることに気がつきました。

不安な相手をみると、自分の不安が大きくなります。その不安をもっとよく見つめてみると「相手を不安にさせるのは自分のせいではないか?自分がいけないのではないか?」という感情が湧き上がります。自分を否定する気持ちが出てきます。

ですから自分が不安にならないように、あらかじめ相手に不安を抱かせないような行動をとろうとしてしまいます。相手の不安を誘発しないように先手を打つようです。「不安にさせてはいけない。不安にさせないようにするにはどのようにしたらよいか?」そう考えると無意識に余計な言動をとってしまうこともあります。「この人のためにしてあげよう。」といった発想になりやすいかもしれません。そういった場合は双方に誤解や勘違いが起きやすいのではないでしょうか。これでは本来の対等な関係性ではなく、相手を弱者としてみる立ち位置になりかねません。

相手のことを思っているようで、本当は自分自身の不安や恐れに翻弄されているのではないか。

そこに気がつくと、たとえどんな相手でも大丈夫と信頼しやすくなりました。

相手の感情は相手のもの、自分の感情は自分のもの。

まずは自分の不安な気持ちに気がつき、自分の感情を落ち着かせ、安定させることが、自分にとっても相手にとっても信頼できる関係になっていくのではないかと考えています。

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